※本稿は、繁田雅弘『認知症になって幸せな人、不幸せな人』(PHP研究所)の一部を抜粋・再編集したものです。
忘れていくのが怖い
「忘れていく」というのは、大変な恐怖であると思います。
ある家族がこんな話をしていました。
認知症になったお母さんが娘さんの名前を思い出せなくなっていた。そのことに対して、「なんで思い出せないの?」と繰り返し責めてしまったそうです。
そのときふと、お母さんが、「私は一番忘れてはいけないことを忘れてしまったね、ごめんなさい」とつぶやいたと言います。
娘さんは、「この言葉を母に言わせてしまった。こんなに私、責めちゃったんだ。もうどうしようもない」と、号泣したそうです。
このころのお母さんは、よく「悔しい、怖い、恥ずかしい」と口にされていました。娘さんは「その気持ちにもっと寄り添ってあげればよかった」と、後悔していました。
家族はどうしても、「わかっていない」と決めつけてしまいます。
医療も福祉も、私たちは認知症の人の能力を、長年にわたって過小評価してきました。
我々の想像よりずっと、「わかっている」と思って話すくらいがちょうどいいんです。
「自分」ではなくなっていくような恐怖
本人は自信を失っています。
積み重ねてきた人生、尊厳を、すべて否定されてしまうような気がします。
「自分」じゃなくなっていくような感覚といいましょうか。
道を歩いていると、ふと、自分が今どこにいるのか、どこに向かっているのかわからなくなる、そういう意味の「怖い」もあります。
「思い出せない自分が怖い」という恐怖もあります。
その気持ちに寄り添うだけでも、きっとその人の「恐怖」は和らぐでしょう。
診療所に来た方が「忘れちゃうのよね」と言うので、「でも嫌なことも忘れちゃうんだからいいじゃない」と返したら、「そうね」と笑いました(もちろん、相手を見て「忘れることはつらい」と共感すべきときもあります)。
いいことも忘れるけど、嫌なことも忘れられる。
「じゃあ『いいこと』はできるだけ周りから教えてもらおう」と約束しました。
認知症の人は「自信」を失っています。「恐怖」を抱えています。その気持ちに寄り添い、 「それでもいいのだ」と伝えてあげてください。

