姥捨山があるなら、今すぐ行きたい
「姨捨山」と聞くと、貧しい家の息子が食い扶持を減らすために、嫌がる親を泣く泣く、山奥に捨てに行く話だと思っていませんか。
『楢山節考』(深沢七郎)を読むと、老いた母が「自らすすんで」山に行く様子が描かれ、物語に深みを与えています。石でわざと自分の歯をくだき、「私はこれでもう食べられない。だから山に連れて行っておくれ」と、本人から子に言い出すのです。家族のために自分から身を引き、自ら「死」を望んでいます。
認知症の人は「消えてしまいたい」と言います。「姨捨山があるなら行きたい」とも。
誰だって皆、「死にたい」という気持ちを抱いたことがあるはずです。でもきっと、口に出さないで心に留めている人が大半でしょう。
認知症の人は、なおさらです。家族は「そんなこと言っちゃダメ」と言いながら、責めるでしょうから。
娘が認知症の母にかけた一言
ある85歳の女性は、数年前に夫を亡くして以来、ガスの火を消し忘れたり、近所で迷子になったり、「あれ?」と思うことが増えていきました。
アルツハイマー型認知症の診断を受けましたが、最初から本人も、同居する娘さんも「薬は飲まない」と決めていました。
「忘れたってかまわない。忘れっぽいことを改善するより、よりよい関係をつくりたい」と娘さんは言いました。
薬を飲まないことで、認知症は進行しました。検査の点数が下がったことが、その証拠です。
確かにもの忘れは増えたけど、心穏やかに読書などの習慣を継続していました。デイサービスで参加を希望するプログラムが増え、表情が豊かになり、目の動きがよくなりました。
ある日診療の場で、娘さんが「もの忘れをしても、私が覚えているから安心して」と母親に言いました。
母親は、「私は幸せです」と語りました。



