知りたいのは“自己犠牲のキャパシティ”
この構造の根底には、社会が「平等」を掲げても解消されていない、ライフイベントにおけるリスクがあります。
理想のタイムラインは「二部構成」になっています。
まず「第一部」の恋人期間は、男性のリードを求める「昭和モード」で相手をテストします。ここで献身を確認したいのは、単に楽をしたいからではありません。
結婚・出産という「第二部」に入れば、どれだけ平等を謳っても女性側にはキャリア断絶や心身の負担という不可避なリスクが降りかかる。だからこそ、「いざという時、この人は自分の利益より私を優先してくれるか」という自己犠牲のキャパシティを測らざるを得ないのです。
東京都の「家事・育児実態調査」によると、女性が家事育児介護にかける時間は1日平均7時間48分で、男性は3時間29分。前回の調査と比べると女性の時間が減少したものの、依然として、日本の家事育児負担は女性に偏っています。
ただし男性もまた、この二重基準に疲弊しています。
「男ならリードしろ」と言われながら、家に入れば「家事も仕事もやって当たり前(令和モード)」という平等を突きつけられる。
昭和的な性役割と令和的な平等意識が混在する矛盾そのものが、男女双方に二重基準を強いているのかもしれません。
「安心したい」が空回りする
現代の「奢り・奢られ」を巡る攻防は、男女双方が将来背負うであろうリスクに対する「感情の前払い請求」です。
女性は「奢り」という形で肯定されることで将来の負担に対する担保を求め、男性は「割り勘」にすることで将来の経済的重圧を分かち合う約束を取り付けようとする。
しかし、この「前払い」を求める必死さが、皮肉にも相手との対話の機会を奪っています。
私たちは恋愛や婚活にまで「タイパ(タイムパフォーマンス)」を求め、支払いという「単一の決済ログ」だけで相手をジャッジしようとしています。
どれだけコスパやタイパを叫んでも、結局、私たちは感情を切り離すことができません。「2000円」という金額で心が凍りつくのは、私たちの幸福が「効率」ではなく、相手からの「特別扱い」という非効率な熱量の中にしか存在しないことを、本能的に知っているからです。
「奢られたから安心」「割り勘だから対等」。
そうやって安易な正解をシステムに委ね、効率的に相手を振り分けようとするほど、私たちは最も大切な「言葉による対話」から、遠ざかっていくのかもしれません。

