日本はADHDの人が発見されやすい文化

ADHDという言葉が今のように知られるようになる30年以上前までは、子どもの怠けや親のしつけの問題と見なされることが多かったのが事実です。1995年にDSM-4の日本語版が出版され、これにより、医療者や教育関係者の間での理解が広がり始めました。そして2003年に、国内でのADHDの診療ガイドラインが出版されました。

さらに、2004年には発達障害者支援法が制定され、その中にADHDが明記されました。これにより、ADHDはしつけや性格ではなく、発達障害の1つであるという認識が社会的に確立される大きな転機となりました。

また、日本の同調文化のために、ADHDのある人が浮きやすく、それによって発見されやすいという側面もあります。そのため、ADHD概念の確立に伴って、ADHDが疑われる人が社会に一定数存在することが可視化され、テレビなどのメディアでも取り上げられやすくなりました。これが、ADHDの認知度を高める追い風となったのです。