映画館を閉めてダンスホールにするか…

人生で一度だけ、「映画館をやめよう」と思った。

ブルーバード劇場は松竹専門館ではなくなり、1999年に「別府ブルーバード劇場」と名を変え、邦画でも洋画でも何でも上映する映画館となった。

邦画はすでに、“冬の時代”に入っていた。しかも1990年代に入り、大規模な駐車場を完備したシネコンが作られ、お客が流れるようになった影響もある。しかし、最も大きなネックは、映画の「配給制度」にあった。照さんが、60代前半の頃のことだ。

「『フラット』って言ってね、映画の貸し出し料を配給先が決めてくるの。30万とか50万って。こっちは言われるママに従うしかないんだけど、その映画料ほどお客が入らない時があるわけです。もう、閉めようかな、ダンスホールにしようかなって思いましたよ」

ダンスホールというのは、劇場の広さがちょうどいいかなと思っただけ。そこまで、追い詰められた。

「映画料が払えんで、配給会社の九州支社から電話がかかってきて、女の事務員さんが犯人に物言うみたいな口調でね、『早う、送らんか!』って、めちゃくちゃ脅されて。お友達やきょうだいにちょっと借りたりして、送ったりしたこともあるけどね。お客様が入らん時は、しょうがないでね」

「人生で一度だけ『映画館をやめよう』と思ったことがある」と振り返る、岡村さん
撮影=プレジデントオンライン編集部
「人生で一度だけ『映画館をやめよう』と思ったことがある」と振り返る、岡村さん

“別府の照さん”独自のプロの一手

お金の工面ほど、人を弱らすものはない。しかし、こんな時でも照さんはマイペースだ。

配給会社の営業マンは九州各地を回り、最終的には別府に戻ってくる。いいお湯とおいしい食べ物があるからだ。

「よく、『別府の照さんがまた、3人ぐらい男を連れて闊歩かっぽしとる』って言われたけど、営業マンはみんな別府に泊まるんです。それで夜、飲みに出るから、一緒に飲むの。私が、飲み屋に連れてくのよ」

照さんの“戦法”はこうだ。すでに、営業マンからは映画料は30万円だと言われている。この時点での照さんは、大人しい。

「そうですか。高いけど、しょうがないね」

夜になって、照さんが飲みに連れて行った店では話は違う。

「さっき、30万って言ったけど、半分にならん? 半分にしてー」
「あっ、いいです」

こんな調子で、半値に落ち着く。「セールス任せの、映画料なのかな」と、照さんはあくまで無邪気なものだ。

今は「歩合」になったため、お金の工面の必要は無くなった。「歩合」とは、映画館と配給会社で収益割合を決めて興行収入から分配するシステムで、映画館が負債を負うことはない。

映画館をやめる一歩手前まで追い詰められた時期、照さんはどうやってつらさをしのいだのだろう。

「あんまり苦にしない。いつまでもクヨクヨしない。嫌なことはパッと忘れ切ること」

最終的に照さんを踏みとどまらせたのは、やはり「自分には映画しかない」という変えようのない信念だった。