ハラスメントの只中へ
親元を離れ、都内のアミューズメント施設で働き始めた榎さんだったが、早速社会の洗礼を受けた。
「父のことで、たいていの怒号を浴びせられることには慣れているつもりだったんですが、慣れているとかいう問題ではありませんでしたね。『ブスで仕事ができないやつは生きてる資格がないから死んだほうがいいよ』とか、平気で言われるんです。まだ当時はハラスメントとかっていう概念が一般化していなかったんですね」
榎さんが勤めたアミューズメント施設は、アルバイトで現場が回っていた。そのためキャリアの長いバイトの立場が強く、正社員とはいえ新人の榎さんの立場は弱かった。
「(バイトは)20歳そこそこの大学生やフリーターなんで、今思うと腹が立ちますが、社員が怒鳴られるのが日常茶飯事でした。社員は、役職のある人や、20代半ばくらいの人もいたんですが、18〜20代前半はいないんです。たぶん辞めてしまうんでしょうね。同期には15人くらいいましたが、1年続いたのは私くらいでした」
結局、榎さんは1年後に辞め、そのあとは別のアミューズメント施設や飲食店で働いた。
「辞めたことを父に言ったら怒られると思って、電話をする前から号泣していたら、逆に引かれたのか、怒られませんでした。実家に戻る発想は全くありませんでした」
2年に1度くらいは実家に帰っていたが、その度に「ピエロ」の役割を演じなければならず、一人暮らしのアパートに戻ると、いつも疲れ果てていた。
ストーカーから逃れるために
2003年冬。20歳の榎さんはある日、ゴミを捨てるためにアパートのゴミの集積場に行くと、榎さん宛ての郵便物がビリビリに破かれて捨てられていたのを発見。
さらに、自分が住む部屋のすぐ傍にある非常階段を覗いてみたところ、人がいた形跡があった。
「コンビニの弁当とか、(漫画の)少年ジャンプとか飲み物とかのゴミがあったんです。さらに、ベランダに置いてあった洗濯機に土や石を入れられるイタズラや、下着や衣類の盗難にも遭いました」
ストーカー被害に気づき、半ばパニックになりながら警察に相談すると、
「まだ実害は出ていないですよね?」
と言われ、愕然。
「『殺されてからじゃないと動いてくれないんですか?』と呆れました。どうしようもないので、もう引っ越すしかないと思ったんですが、引っ越し代も、新しい部屋を契約するお金もなかったんです」
結局、消費者金融のカードローンで30万円を借りて引っ越し。その後1万円ずつ返済しているところへ追い打ちをかけるように、母親から連絡が。これが冒頭のシーンにつながる。
「弟の学費を貸してもらえん?」
断ればいいものを、榎さんは再度、消費者金融で借金をした。その後、彼女は急速に生活苦に陥り、風俗の世界に足を踏み入れ、最終的には生活保護を受けることになる。
なぜ、転落の連鎖を止めることができなかったのか――。


