※本稿は、秋元雄史『芸術の価値とは何か』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
「新しい文化」を金沢から発信
私は2006年にベネッセコーポレーションを退職すると、その翌年から約10年間、金沢21世紀美術館の館長を務めることになります。ここでもまた、私はアートの「反資本主義」的なパワーを実感させられることになります。
金沢は、加賀百万石の伝統を受け継ぐ文化都市として知られています。この街を初めて訪れたとき、古き良き日本の文化と、美しい街並みに深い感銘を受けました。しかし、同時に「歴史が豊かだからこそ新しいものが入りにくい」という課題も肌で感じていました。歴史都市や文化都市という肩書きだけでは、持続的に街が魅力を保つことは難しいのではないか。
そこで現代アートの出番です。現代アートは時に難解で、観る人を戸惑わせます。だからこそ、私は現代アートを通じて「新しい文化」をこの街から発信できるのではないかと考えました。単に美術館を運営するというより、金沢という街全体を変革していく挑戦でもあったのです。
このとき、私の頭にあったのは、直島の「家プロジェクト」同様、アートを外部から人を呼び込む手段にするのではなく、金沢の人々にとって魅力的な街をつくるための触媒にしたい、ということでした。
工芸との距離を近づける
私が館長に就任したとき、金沢21世紀美術館はすでに完成していました。設計を手がけたのは、建築ユニットSANAAです。彼らは、美術館を単なる観光名所ではなく、街の一部として機能させることを目指し、内と外を隔てない開放的な空間づくりを徹底しました。その結果、どこからでも出入りできる、円形で、ガラス張りの美術館が誕生したのです。
初代館長の蓑豊氏と当時チーフ・キュレーターの長谷川祐子氏やスタッフたちによって年間100万人を超える来場者が訪れる美術館が完成していたのです。私はそれをさらに拡張していく一方で、より地元の人々に愛される美術館にしていくことを目指しました。
初期のメンバーによって国際的な評価を得て成功を手に入れた金沢21世紀美術館をより発展させるために私が進めたのが、金沢市民と関係をさらに深め愛される美術館にしていくことと、金沢の伝統文化である工芸との距離を近づけることでした。工芸は金沢にとって重要な芸術であり、同時に産業でもあります。多種多様な工芸が存在しているだけでなく、職人や作家の数も京都、東京に次いで多いところです。「伝統文化のまち」、「工芸のまち」というのが金沢の都市イメージです。しかし時代の流れに逆らえず、ジリジリと衰退してきていました。

