※本稿は、落合淳思『「王」の誕生 古代中国文明の戦争・祭祀・階層』(角川新書)の一部を再編集したものです。
国家統治に必要だった「宗教的権威」
新石器時代末期(紀元前3000年頃~)になると、都市国家が出現する。かつては、「氏族制」の誤解によって、都市国家全体が同一の血縁であると見なされていた。しかし、上は領主から、下は農民や奴隷に至るまで、全て実際の親戚ということはあり得ない。
それどころか、実際には都市国家全体が同一の氏族ですらなく、内部に多数の氏族があった。「氏族」は仮想の血縁なので、理論上は巨大化できるのだが、戦争の危険がより大きくなった状態では、一つの支配氏族と多数の被支配氏族に分け、トップダウン型の社会にした方が効率的である。
のちの殷代後期(紀元前13世紀後半~前11世紀後半)にも、都市国家規模の地方領には支配氏族が存在し、各々が氏族を象徴する記号(文字としては漢字の系統)を使っていた。こうした記号は主に金文(青銅器の銘文)に見られ、「族徽」(「図象記号」や「氏族標識」とも)と呼ばれる。
支配氏族と被支配氏族は、必ずしも強い絆で結びついていなかったようで、殷の滅亡後、西周代(紀元前11世紀後半~前8世紀)になると、族徽の移動が見られる。もとの殷の支配氏族が領地から切り離され、各地に移転させられたようである[落合2025]。
このように支配氏族と被支配氏族がある以上、都市国家全体としては支配氏族の祖先祭祀だけでは不十分だったと思われる。もちろん、支配者の権威づけという点で祖先祭祀は必要だが、それだけではなく、都市国家全体をまとめるような信仰も必要とされたはずである。
それは太陽神や風神のような普遍的なものだった場合もあるだろうし、山岳の神や河川の神といった土地に根ざしたものだった場合もあるだろう。そして、都市国家全体で信仰を共有し、リーダーが平時にはそうした神への祭祀を司ることで、社会の一体性を形成することができ、またリーダーの宗教的権威を構築することができた。
図表Aに、発掘された大汶口文化末期の陶文の例を挙げた。下部に山脈のような形があり、上部には暈のある太陽のような形がある。解釈には諸説あるが、山から昇る朝日によって太陽神を表したものと思われる。


