儀式で多くの家畜を殺す

古代中国では、祭祀において家畜を犠牲いけにえとすることが多く、新石器時代の段階からおこなわれていた[高ほか2004]。

殷代には、より盛んになっており、一次史料である甲骨文字には王がおこなった祭祀が多く記されている。次にその例をいくつか挙げた。なお、甲骨文字は占いの内容なので、本文が疑問形になる。

・辛亥の日に占い古(儀礼担当者の署名)が問うた、年(穀物の収穫)を岳(山岳の神格)に求める際に、3セットの羊・豚を燎(焼き殺す儀礼)し、3頭の牛を卯(裂き殺す儀礼)しようか。〔占いをしたのは〕2月である。(原文:辛亥卜古貞、求年于岳、燎三小牢、卯三牛。二月。『甲骨綴合集』590)

・辛未の日に問うた、乙亥の日(辛未の四日後)に祭祀をして、大乙(殷王朝の建国者)に3セットの牛・羊・豚を歳(斬り殺す儀礼)しようか。(原文:辛未貞、乙亥侑、歳于、大乙三牢。『甲骨文合集補編』10441)

・丙午の日に問うた、酒を捧げ、父丁(先代の武丁という王)に10セットの牛・羊・豚を燎し、10頭の牛を卯しようか。この通りにおこなわれた。(原文:丙午貞、酒、燎于父丁十牢・卯十牛。/茲用。『甲骨文合集』32691。原典の拓本は図表C。本文部分は左上が書き出しの右行文)

犠牲の占い
図表C:犠牲の占い(出典=郭 1977、32691)

残酷すぎる儀式にも合理性があった

一例目は初期の甲骨文字で、「岳」が祭祀の対象であり、殷代前期の首都に近い嵩山の神格と推定されている[白川1972]。この祭祀は、「年(穀物の収穫)」を求めるもので、3頭ずつの羊・豚が焼き殺す儀礼の「燎」に供され、また3頭の牛が裂き殺す儀礼の「卯」に供されている。現代から見れば残酷な殺し方である。

二例目は、殷王朝の建国者である大乙(別名が唐で文献では湯王と呼称)が祭祀の対象であり、3頭ずつの牛・羊・豚が斬り殺す儀礼の「歳」で犠牲(いけにえ)になっている。

三例目は、先代の王に対しておこなわれたもので、やはり多数の犠牲を用いて祭祀をすることを占っている。この例では原典(図表C)の左下にその通りにおこなわれたことを示す「茲用(茲れ用いらる)」という記録も残されている。

これらのほかにも、甲骨文字は殷代後期におこなわれた祭祀を多く記しており、使用された犠牲も膨大な数にのぼる。

現代の科学から見れば、呪術的に家畜を殺しても神や祖先から直接に祐助が得られるわけではないので、こうした犠牲は無駄のように思われるかもしれない。しかし、先に述べたように、祭祀を通して宗教的権威を獲得することは、古代文明においては政治的に有効な方法だった。