「人の生贄」は農奴に置き換わっていった

そのため、人牲を神や祖先に捧げることは、王の宗教的権威を高めるだけではなく、王の持つ軍事力や王自身の軍事的才能を誇示する働きがあったと考えられる。

落合淳思『「王」の誕生 古代中国文明の戦争・祭祀・階層』(角川新書)
落合淳思『「王」の誕生 古代中国文明の戦争・祭祀・階層』(角川新書)

現代の人権や人道の観念に照らせばあり得ない行為であるが、殷王朝の時代にはそうした考え方はなかったので、王にとって有益かどうかで判断された。

さらに言えば、殷代にはまだ農奴制が普及しておらず、奴隷は王や地方領主層の家内奴隷に限定されていた。そうであるから、余剰の捕虜や奴隷は「使い道」がなかったのであり、王にとってコストが低い犠牲だったのである。この点でも殷代の人牲は合理的であった。

ちなみに、人牲は新石器時代末期の都市国家の段階から見られ、二里頭文化において増加し、殷代に最盛期となる[黄1990]。支配者側の効果的な祭祀として、1000年以上にわたって継続的に実施されたのである。

その後、殷代の次の西周代には農奴制が広まり、人牲も急激に減少した。そもそも、周の地方では建国以前から人牲が少なかったので、人牲を増やさないために農奴制を開発したという可能性もあり、もしそうであれば当時なりの「人道的措置」だったことになる。

〈参照文献一覧(著者の五十音順)〉
赤塚忠(1977)『中国古代の宗教と文化』角川書店
岡村秀典(2005)『中国古代王権と祭祀』学生社
落合淳思(2002)『殷王世系研究』立命館東洋史学会
落合淳思(2012)『殷代史研究』朋友書店
落合淳思(2015)『』中央公論新社
落合淳思(2016)『甲骨文字辞典』朋友書店
落合淳思(2025)『漢字はこうして始まった』早川書房
郭沫若 主編(1977〈~1982〉)『甲骨文合集』中華書局
高広仁・欒豊実(2004)『大汶口文化』文物出版社
黄展岳(1990)『中国古代的人牲人殉』文物出版社
島邦男(1958)『殷墟卜辞研究』弘前大学文理学部中国学研究会
白川静(1972)『甲骨文の世界』平凡社
中国社会科学院考古研究所(2010)『中国考古学 新石器時代巻』中国社会科学出版社

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