「存在しない子」の兄と「道化師」の妹
「機能不全家族」で育った子どもは、以下の6つのタイプに分けられると言われている。
・ヒーロー(英雄)
・スケープゴート(生贄)
・ロスト・ワン(存在しない子)
・プラケーター(なだめ役)
・ピエロ(道化師)
・イネイブラー(世話焼き)
家庭のピリピリした空気が嫌で、父親を笑わせることに必死になっていたという榎さんは、父親にとっては「ピエロ」。母親にとっては「プラケーター」もしくは「イネイブラー」だった。
「兄はすごく勉強ができたんですが、私より先に生まれている分、余計に父親の標的にされていました。一番覚えているのは、父が夕食を作っているそばに兄が立っていて、兄が何を言ったかわかりませんが、突然兄が立っている横の壁に、手元の食材をバーンと投げつけたんです。父は私に対しても、話している途中で突然キレて、『もういい!』って言いながら沸騰していた鍋をシンクに大きな音を立てながら置いたりしました。ただ怖くて、何で怒ったのか、何が『もういい!』なのか、何もわかりませんでした」
両親との関係がかなり複雑なものだった上に、兄とも仲が悪かったという。
「兄は父に似て内弁慶で、突然怒り出したり、私が寝転がっていたら、わざわざ背中を踏みつけてきたりしました。ある程度成長してからは、兄は家では存在を消していましたね」
父親の標的になることを避けるためだったのだろうか。兄の生存戦略は、「ロスト・ワン」だったようだ。小学校では、「お前、榎の妹か? あいつはあんなに静かなのにお前はうるさいな」とよく言われたという。
旅館の仲居かお土産物工場か
田舎の小さな街で生まれ育った榎さんは、両親から「高校を卒業したら働くように」と言われていた。
「田舎の古い考え方が根強く残っていて、兄はものすごく学費のかかる関西の専門学校に通わせてもらっていましたが、私には『働け』と。本当は、クリエイティブ系の専門学校に行きたかったのですが、父が怖くて言い出せませんでした」
榎さんの地元で高卒の就職先といえば、宿泊施設や土産物工場などの観光関係しかない。だが、県外からの求人はその限りではなかった。榎さんは、東京都内の会社を複数受けた。
2001年3月。高校を卒業した18歳の榎さんは、4月からアミューズメント施設の店員として働くために上京。一人暮らしを始めた。

