「努力不足」だけでは片づけられない社会構造のエラー
さらに恐ろしいのは、この2つが組み合わさったときの「相乗効果」です。
ACEsと貧困の両方を経験すると、その悪影響は単なる足し算ではなく、掛け算・指数関数のように爆発的に増大します。
イギリスの大規模調査は、次のような衝撃的な事実を明らかにしました。
ACEsがなく、経済的に豊かな層の健康リスクを「低」とすると、ACEsだけ、あるいは貧困だけがある層のリスクは「中」、ACEsと貧困の両方がある層のリスクは、それらを遥かに上回る「極大」レベルに跳ね上がります。
この理由として、貧困は「トラウマからの回復に必要なリソース(安全な住居、栄養、専門的なケア)」を奪うからです。傷ついた心を癒やすための物資さえ買えない状況(貧困)で、傷口は拡大し続けます。そしてその痛みで動けなくなり、さらに貧困が悪化する。
この「リソースの欠如」と「ダメージの蓄積」の悪循環こそが、ACEsサバイバーを苦しめる生きづらさの正体だと思います。
ACEsサバイバーが困難に直面している原因は、個人の怠慢ではありません。
「トラウマが貧困を呼び、貧困がさらなるトラウマを生む」という、個人の努力だけでは断ち切れない構造的なシステムのエラーです。
だからこそ、個人の回復力に頼る精神論ではなく、この悪循環の鎖を外側から断ち切るための「具体的な介入(環境調整)」が必要なのです。
英米と比べて日本は「人生大逆転」が可能な国
ここまでを読んで、もしかすると読者の皆さんは「もう手遅れだ」「こりゃダメだ」と落ち込んでいるかもしれません。
しかし、ここで私は、研究者として次のことを伝えたいと思います。
それは、これまでの経済データや教育統計を冷静に分析すれば、日本は先進諸国の中でも、「過去の逆境を跳ね返し、逆転することが可能な社会」としての稀有な特徴を維持しているということです。日本は、一度落ちたら這い上がれない社会ではありません。その科学的根拠を提示しましょう。
経済学には「グレート・ギャツビー・カーブ」と呼ばれる有名なグラフがあります。これは「親の所得が、子どもの所得にどれだけ強く影響するか(世代間所得弾力性)」を国別にプロットしたものです。この分析において、アメリカやイギリスは「親が貧しければ子も貧しい」という相関が極めて強い「階層固定化社会」に位置します。対して日本は、それら諸国と比較して、世代間の所得移動が起きやすい(親の影響が決定的ではない)グループに位置しています。
つまり、日本ではアメリカやイギリスほど「貧困が世襲」されていません。これは、個人の努力や才能次第で、親の経済階層から脱出し、より高い社会的地位を獲得できるチャンスが、構造的に残されていることを意味します。

