児童虐待を受けた人の生涯損失は1.2億円以上
まず、ACEsのなかでも特に深刻な「性的虐待」や「マルトリートメント(不適切な養育)」がもたらす経済的損失を見てみましょう。
アメリカ・疾病予防管理センターのピーターソンらによる研究は、致死的でない児童虐待(性的虐待を含む)を受けた被害者1人あたりが負う生涯コストを約83万ドル(現在のレートで約1.2億円以上)に達すると試算しました。
なぜこれほど高額になるのでしょうか? たしかにアメリカは医療費が高いのですが、それだけではありません。
この試算で考慮されているコストを詳しく見てみましょう。
○生産性の損失:就労困難や低賃金による、社会が生み出せたはずの「富(GDP)」の喪失
○刑事司法コスト:被害者が将来的に加害者になったり、トラブルに巻き込まれたりした際の警察・裁判費用
○無形コスト:被害者の「痛み」や「苦しみ」をQOL(生活の質)の低下として金銭換算したもの
つまり、たった1人の子どもを守れなかったことが、社会にとっては「億単位の資産」の損失につながっているのです。
性被害や虐待の防止は、倫理的な義務です。しかし、それと同時に、最も投資対効果の高い経済政策にもなりうるのです。
「貧困」が脳を追い詰め、虐待を生む
次に、「貧困」がどのようにしてACEsを生み出すのか、そのメカニズムを解明します。たとえば、貧しい家庭で育った人が他人を傷つけるような犯罪を目にすると、「貧しい家庭は愛情がない」と思う人もいるかもしれません。
しかし研究結果は、「リソース(資源)がない」ことが、親の養育能力を物理的に奪うことを示しています。このリソース不足とは、お金や時間のことであり、それがないからこそ子どもに注目できないのです。リソースや貧困について、さまざまな論文を統合したレビューでは、社会経済的地位(SES)の低さがACEsのリスクを劇的に高めることが確認されました。ここには2つの力学が働いていると言えます。
家族投資モデル:
金銭的余裕がないため、安全な住居、良質な教育、課外活動といった「子どもの発達を守る資源」に投資できない。
家族ストレスモデル(毒性ストレス):
日々の支払いへの不安や長時間労働による疲弊は、親の脳に「欠乏の心理」を引き起こす。脳の認知容量(CPU)が「生存」だけで埋め尽くされ、子どもの感情に寄り添う余裕が物理的に消失する。
これが、貧困家庭でネグレクトや虐待が発生しやすくなる科学的な理由です。

