“世襲”を受け継ぐ価値観の相違

そこには、「公務」という言葉よりも広い意味での、皇族としての行い、皇族の果たすべき「役割」に関する、明仁天皇夫妻との価値観の違いが横たわっていたように思える。この時点で平成も16年となり、天皇夫妻が築き上げた「平成流」の天皇像、皇室像はゆるぎないものになりつつあった。

大木賢一『「平成の天皇家」と「令和の天皇家」』(講談社)
大木賢一『「平成の天皇家」と「令和の天皇家」』(講談社)

そのことの重みを知りつつも、自分たちらしさを発揮できる皇室の役割を築きたい。皇太子と皇太子妃という、比較的自由な立場にあるうちに、その道筋をつけたい。そんな思いだったのではないか。

老境に達した70代の夫婦と、40代の息子夫婦。「世襲」の制度から免れることのできぬ2組の夫婦の間に、いわば「家業」をめぐる価値観と方針の相違が存在したことは、世間一般の常識から見て、至極当然のことだったと言える。

創業者から「家業」を受け継ぐ2代目が、親に反発しながら独自性を発揮しようと懸命になるのはよく聞く話だ。そのことを論じようとするとき、いわゆる「世代論」的な見方も必要になってくると思う。

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