徳仁さまが「人格否定」発言に踏み切った真意

繰り返しになるが、徳仁皇太子は自らの発言を追加説明する文書の中で、発言以来「外国訪問ができないこと」と「お世継ぎ問題」に「過度に注目が集まっている」と指摘する一方で、「もちろんそれだけではなく」と述べている。

「それだけではなく」と言うからには、外国訪問ができなかった、許されなかったことも、環境適応の課題であり、人格否定の要素だったことを認めていることになる。「許さなかった」当事者が明仁天皇と美智子皇后だったとするならば、「人格を否定するような動き」の当事者の中に、やはり明仁天皇と美智子皇后も含まれることになる。

これは、言葉だけを分析した推論であるのはもちろんだが、徳仁皇太子は最初から、「人格否定」の当事者として天皇と皇后を暗に示そうとしていたのではないかと、私には思える。

「人格を否定するような動きがあった」というショッキングな発言をする以前に、「許されなかった」という、皇太子らしからぬ表現をしていることにも、強い意思と覚悟が込められているように見える。天皇と皇后を暗に示すからこそ、意を決して発する意味があったとも考えられる。

明仁天皇「まだ私に十分に理解しきれぬ」

このことに関連して、私は明仁天皇自身と秋篠宮の当時の発言の中にも、それをうかがわせる表現が含まれていると感じている。「人格否定発言」を受けて、明仁天皇はその年の自分の誕生日の文書回答で、こう述べた。「その後、何回か皇太子からも話を聞いたのですが、まだ私に十分に理解しきれぬところがあり、こうした段階での細かい言及は控えたいと思います」

言葉の印象だけを論じることが強い批判を受けることは覚悟の上で指摘するが、私はこの言葉に、一種の「当事者性」のようなものを感じずにはいられない。「当の私自身にもまだ理解できない」というニュアンスである。

秋篠宮の言葉を見ると、その感覚はさらに増幅される。秋篠宮は同じ年の自分の記者会見でこのように話した。「少なくとも記者会見という場所において発言する前に、せめて陛下とその内容について話をして、その上での話であるべきではなかったかと思っております」「せめて陛下と」という部分に、やはり明仁天皇の「当事者性」を感じる。

「せめて当人には事前に話を」というニュアンスである。「せめて」とは「最低限」という意味であり、「最低限」でなければ誰に話しておくべきだったというのだろうか。

日本の皇族2021年
日本の皇族2021年(写真=外務省/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons