「若者を絶望させた国」の教訓

第一に、国家としてのグランドデザインがなければ、産業は利益の出やすい方向へと単純化していく。ニュージーランドの場合はコモディティへの集中がそれにあたる。そして高度な技術基盤を一度失えば、再構築には数十年を要する。

第二に、住宅・不動産への資金滞留は産業競争力の長期的な自己毀損につながる。資金が次世代技術や起業に回らず、不動産や現預金に埋没する構造は、若者の経済的な展望を直接的に狭める。

1980年代後半、日本では過剰流動性マネーが不動産に集中し、実体経済を上回るバブルを生んだ。あの莫大な資金の一部でも、次世代のイノベーションに向かっていれば、その後の「失われた30年」の景色は違っていたはずだ。

実際、日本が土地神話に酔いしれていた一方で、アメリカでは後のビッグテックへと繋がるIT産業が産声を上げていた。

当時の日本にも、その潮流を鋭敏に察知していた先駆者はいた。リクルートの江副浩正氏である。彼は情報のデータベース化や通信事業の可能性をいち早く見抜き、旧来の産業構造を破壊する「知のインフラ」を構築しようとしていた。

日本版Googleが生まれなかった理由

ところが、1988年に発覚した「リクルート事件」が、その芽を事実上摘み取ることになる。

筆者の視点に立てば、この事件は「戦後最大の疑獄」と称されるほどの収賄性は希薄であり、むしろ本質は「異端の新興勢力に対する、既得権益層と検察による社会的制裁」という側面が強かったのではないか。この事件によって江副氏は表舞台から去り、リクルートという、日本版のGoogleやAmazonになり得た企業の翼は折られた。

この出来事が日本社会に与えた悪影響は、単一企業の挫折に留まらない。「出る杭は徹底的に打たれる」という強烈なメッセージを焼き付け、日本からリスクテイクの文化を萎縮させてしまったのだ。

ニュージーランドが「対中輸出の成功体験」という甘い罠にはまり、産業の高度化を止めてしまったように、日本もまた、戦後成功モデルの維持を優先し、江副氏のような破壊的イノベーターを許容する「度量」を失った。この「新しきものへの警戒感」こそが、ニュージーランドの不動産依存と同様、国家の生産性を長期にわたって損なう構造的な病理となったのである。