自分の死期を悟り、妻に言った言葉
初めて病気の発作が起った時、ヘルンは自己の運命をすっかり自覚し、死後における妻子の保護と財産の管理とを、親友の法学士に一任して、後に心がかりのないようにした。そして妻に向って言った。
『この痛み、もう大きの、参りますならば、多分私は死にましょう。私死にますとも、泣く、決していけません。小さい瓶買いましょう。三銭あるいは四銭位です。私の骨入れるために。そして田舎の、寂しい寺に埋めて下さい。悲しむ、私よろこばないです。あなた、子供とカルタして遊んで下さい。いかに私それを悦ぶ。私死にましたの知らせ、要りません。もし人が尋ねましたならば、ハア、あれは先頃なくなりました。それでよいです』と、そして何か困難な事件が起ったならば、法学士の梅氏に相談しろと言った。
『そのような哀れな話、して下さるな。そのようなこと、決してないのです』と夫人が言うに対しても、『心からの話、真面目のことです』と言い、『仕方ない!』と死を覚悟していた。しかもなお残された仕事のことを考え、『人生は短かすぎる』と幾度か嘆息した。
最後に長旅をする夢を見た
桜の花が返り咲きをした日から、数日を経てまもなくヘルンは死んでしまった。死ぬ前の日に、彼は不思議な夢を見たと妻に話した。それは日本でもない、支那(編集部註:中国)でもない、大層遠い遠い見知らぬ国へ、長い旅をした夢であった。
そして今ここに居る自分が本当か、旅をした自分が本当かと夫人に問い、『ああ夢の世の中』、と呟いて寂しげに嘆息した。わが漂泊の詩人芭蕉は『旅に病んで夢は枯野をかけめぐる』といって死んだ。夢見ることによって生きた詩人等は、また夢見ることの中で死ぬのであった。
世界の国々を漂泊して、ついに心の郷愁を慰められなかった旅人ヘルンは、最後にまたその夢の中で漂泊しながら、見知らぬ遠い国々を旅し歩いた。今、この悲しい詩人の霊は、雑司ヶ谷の草深い墓地の中に、一片の骨となって埋まっている。
(昭和16年9、10月執筆)



