男社会でもまれてきた高市首相ならではの「技術的振る舞い」
そこで際立ってくるのが、その現実に対応した「振る舞い」だ。
ある意味、日本が戦後一貫してアメリカに対して相対的に弱い立場に置かれてきたからこそ、力関係を前提に振る舞いを調整するという発想自体は、日本にとって決して新しいものではない。
さらに、日本社会の中でも、特に男性中心の権力構造の中で働いてきた女性にとっては、強い相手に対して関係を維持しながら立ち回ることは、理想ではなく現実である。
つまり、それは「媚び」ではなく、構造的な上下関係の中で機能する一種の技術とも言える。
もう1つ興味深いのは、今回の高市首相の振る舞いは、「何を考えているかわからない日本人」という従来のイメージを、ある程度払拭した側面もあることだ。これまで日本の外交は、曖昧さや慎重さゆえに「本音が見えない」と受け取られることも少なくなかった。
しかし今回は、高市氏がトランプ氏に対して明確な賞賛と好意を示し、関係構築の意思を可視化した。
特にMAGA支持者は「トランプが好きか嫌いか」で相手を判断する。だからこそ高市氏は「わかりやすい仲間」として受け入れられたのだ。
失点は避けたが、今後この関係が持続するかが課題
では、この会談は成功だったのか。短期的に見れば、高市首相は大きな失点を避け、トランプからの好感を得たという意味で、一定の成果を上げたと言える。しかし長期的に見れば、評価はまだ定まっていない。
冒頭のニューヨークタイムス記事は、日本のエネルギー依存や今後の軍事的負担の可能性に言及し、「成功が長続きしない可能性」を指摘している。
今回の会談に先立って英語圏メディアでしばしば語られたのは、「日本がアメリカの同盟国として、決定的な価値を示すことができるか否か」だった。
つまり、問われたのは「どう振る舞うか」ではなく、「何を提供できるか」である。エネルギー、安全保障、投資といった具体的な領域において、日本が同盟国としてどのような価値を持つのか。それが試されるのはまだまだこれからだ。
今回の会談で高市氏が世界に示したのは、トランプ時代の外交において何が通用するのかという「文法」だった。
その中で今回明らかになったのは、同盟のゆるぎなさと同時に、交渉の主導権は依然としてアメリカにあるという冷徹な現実でもあった。
振る舞いだけで乗り切れる段階は、すでに終わりつつある。問われているのは、その現実を理解した先に、日本がどのような「他に代えのきかない価値」を提示できるかである。

