「よく考えましょう」に潜む思わぬリスク

私たちは小さな頃から、「よく考えましょう」と言われ続けてきました。そこで見過ごされてきたのが、考えすぎることのリスクです。

意外に思われるかもしれませんが、「考えすぎることは危険」なのです。

とくにその考えが内向きで、ネガティブな感情に向けられていて、抽象的であるほど、どんどん自己没入的になっていきます。

「考えるために考える」というループにハマることになるのです。

たとえば、「なんか私って成長している気がしないなあ」「私って何がしたいんだろう? そもそも、どうなりたいんだろう?」「みんな、自分の目標に向かってちゃんと頑張っているのに」「でも、“ちゃんと”って何?」といった具合です。

そもそもほとんどの場合において、「考えること」は何らかの目的を達成するための手段のはずです。課題や困難を乗り越えるためだったり、複数の選択肢のなかから最適なものを選ぶためだったり、新しい知識を吸収して深く理解するためだったり、あるいは新しいアイデアを生み出すために考える、ということが多いでしょう。

もちろん、考えることが目的となることもあります。知的欲求を満たしたり、哲学的思索を深めていったりするときなどですね。

反すうを長引かせる「認知的不協和」

しかし、反すうはそれらのことにはまったくあてはまりません。私たちが役に立たない反すうを長引かせてしまう理由の1つに、認知的不協和という心理的メカニズムがあります(※2)

認知的不協和

自分の中に矛盾する信念や行動が同時に存在すると、不快な緊張(不協和)が生じ、それを解消しようとする心理的メカニズム

考えと行動にギャップがあって気持ちが悪いときに、考えや行動を変えてそのギャップをなくそうとする、ということです。たいていの場合、自分にとって都合のよい情報を選んだり、望ましくない信念や行動を正当化したりするなど、不適応的な(役に立たない)判断につながりがちです。

たとえば、「喫煙は健康に悪い」とわかっていてもやめられず、毎日たばこを吸っている人は、考えと行動に矛盾がある状態といえます。このとき、心のなかに不協和が生じて気持ちが悪い。

そこで、「たばこを吸うのは仕事のため。頭をスッキリさせて、生産性を上げるためなんだ」とか、「たばこを吸っている姿は格好いい」「たばこを吸っていても長生きしている人もいるし……」といった具合に「信念」を変えることで、「身体に悪いとわかっているものをやめずにいる」という矛盾(不協和)を解消しようとするのです。

反すう
イラストレーション=さくら

反すうしやすい人でいえば、「問題について頭の中でぐるぐると転がし続ける」ということにすごい手間をかけているものの、「それが問題の解決にあたって、具体的にはまったく役に立っていない」と不協和が生じます。

そんな不協和による気持ち悪さを解消するために、「いや、この思考のプロセスを通じて、重要な洞察を得ているのだ」と信じ、ぐるぐると転がし続けてしまう傾向があるのです。

反すうが生じているときには、こうした認知的不協和による認知のゆがみが生じやすくなります。

せっかく一生懸命考えているのに、それによって望ましくない認知が強化されてしまってはもったいないですよね。「考えすぎかも」と反すうに気づき、離れることが大切です。

※2 Festinger, L. (1957). A theory of cognitive dissonance. Stanford University Press.