バナナすら手が届かない
モスクワに住む68歳の年金生活者ナジェージダさんは、BBCの取材に対し、月額年金の約3万2000ルーブル(約6万4000円)がまるごと食費に消えると語る。
車の修理のために貯めていた蓄えも、食料に充てざるを得なくなった。牛肉はもう買えず、安い魚に替えた。夫の冬用ジャケットは来年以降に先送りにしている。
同じモスクワに暮らす40代半ばのマーケティング専門家クリスチナさんも先月、食費を補うため泣く泣く貯金を切り崩した。「食べたいかどうかではなく、この製品100グラムにどれだけタンパク質が含まれているかを見るようになった」と話す。
モスクワの学生オスカルさんは、メデューザに対し、2023年には1日600ルーブル(約1200円)でカッテージチーズや肉入り餃子のペリメニ、野菜を買えたと語った。だがいまは、900ルーブル(約1800円)に増やしても、「まともな肉がかろうじて買えるかどうか」だという。最も安い果物だったバナナすら、もう手が出ない。
人々は医薬品を買うのも躊躇するようになった。サンクトペテルブルクでは、無職で障害者給付金のみで生活する視覚障害の市民が、「薬代を節約できないか考えてしまう自分に気づく」と打ち明けている。
親政府系機関すら認めた「隠れたインフレ」
ロスタットが発表する2025年のインフレ率は、5.6%に留まる。だが、この数字と国民の実感との間には深い溝がある。
ロシア独立系英字紙のモスクワ・タイムズによると、中央銀行が世論調査機関「世論財団」(FOM)に委託した調査で、国民の実感に近い体感インフレ率は14.5%に達した。国際通貨基金(IMF)の推計も9%で、世界平均の2倍を超える。公式統計だけが突出して低い。
乖離の原因はロスタットの統計手法にある。ロシアの独立系調査報道メディアのインサイダーによれば、価格データの集計対象となるのは事実上、大手チェーンだけだ。地方の暮らしを支える小規模店舗は、同じ卸売業者から仕入れても仕入れ量が少なく交渉力に乏しい。
こうした地方店では輸送費も賃料も割高で、値付けはチェーン店より高くなる。多くの国民が日々こうした店で買い物をしているのに、その価格を統計は拾わない。
食費が家計を圧迫する低所得層ほど、打撃は重い。同メディアによれば、親政府系シンクタンクのマクロ経済分析・短期予測センター(TsMAKP)ですら、「貧困層のインフレ率」を17%と推計した。公式統計のおよそ3倍だ。
貧困層の主食であるジャガイモにいたっては、価格が約2.6倍に跳ね上がった。政権寄りの機関がこうした数字を認めざるを得ない時点で、ロシア連邦統計局ロスタットの「5.6%」はもはや現実と乖離していると言わざるを得ない。

