「テレビ局と映画」の関係性に異変

たしかに、歴史的な大ヒットを記録した映画『国宝』は、テレビ局とのタイアップとは無縁だったし、逆に、テレビ局発の作品は、大きな話題にはなっていない。この点については、『果てスカ』公開直後に、メディアコンサルタントの境治氏が「『テレビ局と日本映画の幸せな時代』の終焉」として指摘している通りである。

けれども、たとえば、映画『爆弾』は、「フジテレビムービー」でありながら、そのPRが「限界“超”突破」を目指していたとは言えまい。ネタバレになるので書けないが、その肝となるシーンの都合上、テレビ放送は難しく、放送での回収は最初から諦めていたのではないか。

また、ちょうど2月20日に公開されたばかりの映画『教場 Requiem』は、これまでにドラマがシリーズ化されており、主演の木村拓哉氏が、これでもかと番宣に駆り出されていた。けれども、映画の前日譚『教場 Reunion』がまずはネットフリックスでの配信を先行させた点に鑑みても、従来の「テレビ局映画」の枠ではなく、配信で視聴され続けるほうを重視したのではないか。

日テレが見誤ったのは、映画の興行収入を、それもテレビでの「限界“超”突破」を目指した宣伝によって増やせなくなった流れだったのではないか。『果てスカ』の谷生プロデューサーが認識しているように「テレビメディアを見る人が減っていくなかでの宣伝」だという点を、自覚しきれていなかったのではないか。

「ネガティブキャンペーンの波」の本当の意味

いや、それだけではない。繰り返しを厭わずに言えば、「インターネットを肯定的に描いて」きた作品の流れをこそ、あらためて見直さなければならない。名義だけなのかもしれないとはいえ、かりそめにも「制作指揮」、すなわち、制作陣の総責任者を務めた以上、日テレの澤氏は、細田監督の思いを受け止めなければならかったのではないか。

何より、『竜そば』は大ヒットしたからすばらしいわけでもなければ、『果てスカ』は「大不振」だったから酷いわけでもない。どちらも、細田監督とスタジオ地図の熱量が込められた、魂を揺さぶる作品にほかならない。

好き嫌いはわかれるだろうし、どんな作品であっても、全肯定するほうが珍しい。とすれば、何よりも、作品を見るところから始めなければならない。アニメーターが、どれほどの思いと、どれだけの艱難辛苦の末に、完成の歓喜にたどりついたのか。そんな当たり前のすごさを再認識しなければならない。

そうした常識を教えてくれただけでも、「ネガティブキャンペーンの波」は、貴重だったのではないか。

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