最低賃金以下の報酬で働く翻訳家
今は作家も食べていくのが大変な時代です。作家は、日本では印税の形で報酬を受け取るのが一般的です。そして印税は、おおむね「本の定価×発行部数×印税率」という計算式で算出され、印税率は多くの場合「10%」に設定されています(業界外の方には不思議に思えるかもしれませんが、新人だろうが、大御所だろうが、基本的に印税率は一律です)。
そのため、定価をどれだけいじったところで、発行部数が落ちてくると、収入は厳しくなります。
ただ、翻訳家の方から聞いたのですが、翻訳家は作家に輪をかけてしんどいらしい。それなりに名の通った中堅の出版社から翻訳書を出しても、報酬が30万~40万円ということがざらにあるようです。2~3カ月の時間を費やした成果物に対して、それだけの対価しか支払われない。
私はこの話を聞いた時、「だったら、出版社はもう翻訳物なんて出すのをやめたらいいのに」と思いました。もちろん、暴論であることは承知していますし、海外文学の愛読者からは総スカンを食らうような考えでしょう。
でも、海外文学を愛する人たちにこそ、私は聞いてみたい。その本の訳者が、最低賃金にも遠く及ばない報酬(それこそ、アルバイトの書店員よりももっと安い報酬)で仕事をしていることを知って、それでもなお、あなたはその本に感動できますか? 誰かの生活を追い詰めてまで、海外文学というのは訳され、読まれなければいけないものなのですか?
時代遅れの業界だからみんな苦しんでいる
どれだけ自助努力に励んだところで状況が好転せず、しんどい人、つらい人が構造的に生み出されてしまうのなら、それはもう、「業」としての耐用年数が過ぎたということではないのか。
これは、「町の書店」にもそのまま当てはまる議論です。山内貴範先生の『ルポ書店危機』によれば、秋田県のある家族経営の書店は、家族3人で朝から夜10時まで働いて、1年の粗利益が約500万円だそうです。そこから経費を引くと、200万円台しか残らない。はたして、これがまともな「業」と呼べるでしょうか。
だから、私は安易に「書店を守れ」とは言いたくない。書店が存在することで不幸な人たちが生み出されてしまうなら、むしろ書店なんてないほうがいい。
この本を手に取ってくださった方のなかには、業界の現状なり、書店の行く末なりに関心のある人が多いと思います。もしかしたら、「町の書店」が次々と姿を消しつつあることに、胸を痛めている読者もいるかもしれない。そういう人たちと一緒に、私はあらためて考えてみたいのです。書店は、本当に守られなければいけないのか?

