予算全体の責任を負うのが政治の役割
当初予算の段階で、国として何を優先し、何を後回しにし、何を廃止するのかを政治が決断する。補正予算は、災害や安全保障など、真に例外的な事態に限定する。
つまり、政権が予算全体に対して責任を負う体制に切り替えようとしているのだ。
これはこれまでの官僚制の否定ではなく、積算や制度設計といった専門領域は、引き続き官僚が担う。だが、最終的な優先順位と政治的責任は、選挙で選ばれた政治が引き受ける。これは本来あるべき役割分担である。
とはいえ、実現は容易ではない。予算編成という行政権力の中枢に手を入れる以上、多方面からの抵抗は避けられない。
だからこそ、この財政改革は「財政革命」と呼ぶに値するのである。
解散会見であえて語らなかった理由
この改革には、官僚側からの反発が生じる可能性が高い。予算配分を通じて裁量を行使してきた官僚にとって、影響力の低下を意味するからだ。
しかし、官僚組織は決して一枚岩ではない。予算実務を担う現場では、補正予算が繰り返されることによる過重な負担や、責任の所在の曖昧さに長年疲弊してきた官僚も少なくない。
政権が大枠を最初に決め切れば、官僚は執行に専念できる。この改革は、官僚を排除するものではなく、むしろ官僚の能力を最大限に生かすための再設計だと言ってもいいだろう。
注目すべきなのは、こうした予算編成改革が、解散総選挙の会見という最も注目度の高い場では、正面から語られなかった点である。
これは意図的な行動だったのかもしれない。
予算編成の主導権に関わる改革は、官僚機構、既存政治勢力、メディアのすべてを刺激する。解散会見という一点突破の場で不用意にこの「革命の意思」を明示すれば、政策論争ではなく、政争の具にされるリスクが高い。
だからこそ高市首相は、あえて前面に出さず、選挙後の予算編成という実務の場で勝負しようとしていると考えるべきだ。
この解散で勝利すれば、段階を踏んで改革を進めることができる。政治判断として、極めて計算されている。
その重要性に気づく者は多くはないだろうが、わかっている者には、高市首相の覚悟がわかるはずだ。

