宿泊料にみる豊臣兄弟の経済センス

普通の武将からの書状ならば、これでおしまいです。秀長の面白さは「次」と記された後半部分にあります。

〈次誰々成共、宿をかり候者、一人ニびた五文、馬一ツニ十五文宛取可申候、令用捨候ハゝ、曲事くせごと候也〉

次に誰でも、宿を借りた者からは一人当たり五文、馬一頭あたり十五文徴収せよ、というのです。

用捨して無料で宿泊させたら、「曲事」、けしからぬことなので罰する、と税的な宿泊費徴収のすすめです。

山口郷は生野銀山に近い、但馬と播磨を結ぶ宿場です。当時、宿場が栄えてとりやすい税は、家一軒あたりに課税する棟別銭むねべつせんでした。治安が回復し、戸数も増えていけば、税収もアップします。

このような文書は多くはありません。私はこうした儲けの着眼に、他の武将とは異なる、豊臣兄弟の経済センスを感じます。

単に命令を徹底させ、治安を回復するだけではなく、金稼ぎにも結び付ける発想があるのです。

秀長は「奈良借ならかし」と呼ばれるローンをおこない、莫大な資産を形成します。その端緒は、但馬時代からすでに現われていたといえるでしょう。

「鮎を獲る権利」という絶妙なボーナス

もうひとつ、非常に面白い秀長文書を紹介しましょう。天正8年5月15日付で、但馬を流れる円山まるやま川沿いの市左衛門ほか3名にあてたものです。

〈今日十五日より、於何方ニも、あゆ取可申候、不可有異儀候、次誰ニあミをかり候共、かし候ハハ可為なるべく曲事候、此四人之外之者召つれ候事、不可有□、仍如件よってくだんのごとし

今日、5月15日から、(あなた方4人は)どこで鮎を取っても構いません。その鮎漁に対して「異儀あるべからず」、誰も邪魔をしてはならない。次に、鮎を取る網を誰に借りてもいいが、誰かに網を貸すことは「曲事なるべし」、貸してはいけない。4人以外の者を召し連れて漁をするのもいけない、としています。

つまり、4人の者に特権として鮎漁を許可しているのですが、興味深いのは、鮎を取ることができるのはこの4人だけ、という点です。

つまり彼ら4人が、ほかの誰かに鮎を取っていいよ、と許可する権利は与えていません。鮎漁を許可できるのはあくまで秀長1人なのです。