人生を変えた一冊の本
高校時代の大垣さんは、進路に悩み、漠然とした将来への不安を抱えていた。
「このまま仕事をするのも嫌やし、大学に行って自由な時間が欲しい」という思いを抱きながら、好きな映画館に通う日々だったという。
「薬師丸ひろ子が出てくる前の時代かなあ。友達のお父さんが松竹に勤めていてね。試写会にもよく行きました。夜は麻雀したり……まあ、そんな生活でした」
ある日、人生を変える一冊の本に出会う。タイトルは『二十歳の原点』(新潮社)。1960年代末の学生運動の時代、自分を見つめながらも挫折し、理想と現実のはざまで苦しんだ女子大生・高野悦子さんの日記をまとめた作品だった。
「なんでその本を手に取ったのかは、正直覚えてないんです。でも読んでみたら、『自分だけが悩んでるんちゃうんやな』って思えてね。すごく共感できたんです」
自分の心情と重なり、静かに寄り添ってくれるような一冊だった。その後、偶然にも著者と同じ立命館大学へ進学。在学中から実家の書店を手伝い、卒業後は父とともに働いた。
「本に救われた」というこの原体験が、後の経営の根っこになる。
大型店の衝撃「このままじゃ経営が持たない」
大垣書店の転機が訪れたのは1981年。京都市内を南北に走る地下鉄が開通した年であり、この出来事が大垣書店の追い風となった。
「今から45年前、僕が22歳くらいの頃ですね。ちょうど終点の北大路駅の上にうちの本屋があったんです。地下鉄から学生さんがどっと降りてきて、本を買ってくれるようになって。あれは驚きでした」
しかし、その追い風はすぐに逆風へと変わる。1984年、京都駅直結のファッションビル「アバンティ」に、当時としては異例の規模を誇る大型書店がオープンした。売り場はテニスコート4面分。品揃えも立地も物流も、すべてにおいて勝ち目がないと感じた。
「そこのブックセンターがでかくてね。初めて見たとき、正直ショックでした。このままじゃうちの経営が持たないと感じましたね。品揃えでも絶対に勝てない。例えば、出版社が1万部刷った本は、小さな本屋には、2冊、3冊しか回ってこないんです。でもアバンティには30冊でしょ。どうしたって売り上げの差は埋まりませんよ」
「来てくれたお客さんを絶対に逃さない」戦略
圧倒的な差を前に、大垣さんは考えた。限られた売り場でどう勝負するか。答えは“来てくれたお客さんを絶対に逃さない”ことだった。店頭にない本でも、お客さんに尋ねられればすぐに取り寄せる。電話注文も受け、できるだけ早く手渡す。来店した人を必ず満足させる姿勢を徹底して守った。
「当たり前のことをしただけなんです。でも、『この本屋に頼めば必ず手に入る』と思ってもらえることが大事でした」


