虐待を受けた子どもの治療の難しさ
新井医師と私は、実はクリニック開院前に出会っている。2011年に、愛知県が運営する小児の総合病院である「あいち小児保健医療総合センター」の取材でお世話になって以来の関係だ。
当時、新井医師は「あいち小児」の心療科に勤務していた。私がそこで行った取材はのちに、虐待が子どもにどれだけ深刻なダメージをもたらすのかを主題にした『誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち』(集英社、2013年)につながるものとなった。
新井医師が醸す、優しさが滲み出る穏やかな人柄は当時と全く変わらない。困ったのは、とにかく早口だということ。私はいつも、必死についていく。それは今も、変わらない。
取材を行うこととなったきっかけは、「あいち小児」の心療科病棟において、虐待を受けて保護された子どもたちの治療がいかに困難を極めるかを目の当たりにしたことだった。しかも、保護されただけでは治癒しない「愛着障害」の深刻さについて、ここで私は学ぶこととなった。
すべてが、「愛着障害」に起因すると言ってもいいものだった。入院している子どもはほぼ、虐待を受け、専門的な治療が必要とされた子たちだ。その子どもたちが、病棟で問題行動をひっきりなしに起こすのだ。これでは、病棟自体が安心を感じられない場所になる。安心を感じられないところでは、治療ができない。医師や看護師たちは日々、必死で子どもたちを抱きしめていた。
「マイナスの愛着」に起因する愛着障害
かつて、新井医師はこう話していた。
「なぜ、保護された環境にいるのに、子どもたちはこんなにも人を信用しないのか。多くの大人がサポートしているのに、なぜ激しく衝突するのか。こういった問題に、いつも悩んでいました。愛着の問題の難しさですね」
「愛着」とは、赤ちゃんと母親などの養育者との間に築かれる、「心の絆」のようなもの。赤ちゃんが空腹を訴えて泣けば、ミルクを与えてもらえる。オムツが濡れれば、気持ちのいいものに替えてもらえる。そして笑顔で話しかけ、見つめてくれる。このような行為を通して、赤ちゃんは養育者の眼差しという、「安全基地」を得る。この安全基地さえあれば、ハイハイをして世界を広げることも可能だし、不安を感じれば戻れるあたたかい膝(=安全基地)もある。こうして赤ちゃんは、未知なる世界へ自ら踏み出し、成長していく。赤ちゃんは「愛着」という、人間の基盤を得たわけだ。
しかし、放っておかれる冷たいベッド、叩かれる痛み、血の味、怒声……。これしか赤ちゃんに与えられないとしたら、「安全基地」どころか、赤ちゃんはマイナスの「愛着」を得る。これが、「愛着障害」だ。自分を宥める「安全基地」が心の中に存在しないため、すぐにイライラして攻撃的になったり、人や世界を信用できなかったり、人との適切な距離がわからなかったり、さまざまな問題行動を起こし、生きづらさを抱えて生きることとなるのだ。

