NHK「ばけばけ」では、庄田(濱正悟)とサワ(円井わん)が急接近するシーンが描かれている。庄田と錦織(吉沢亮)は同級生だというが、実際はどんな人物だったのか。ルポライターの昼間たかしさんが、文献などを基に史実に迫る――。
筆者が松江市内でみつけた「ばけばけ」のポスター
筆者撮影
筆者が松江市内でみつけた「ばけばけ」のポスター

西田も本庄も“名門出身”

NHK朝の連続テレビ小説「ばけばけ」。ヘブン(トミー・バストウ)とトキ(髙石あかり)の生活の一方で、物語は周囲の人々にもスポットライトをあてている。

1月26日から始まったのは、サワ(円井わん)に急接近する錦織(吉沢亮)の同級生、庄田(濱正悟)のエピソードだ。正規の教員になりたいと勉強するサワに、自分が勉強を教えるという庄田。なんとも微笑ましいエピソードだ。

この2人もまったく架空の人物ではない。庄田のモデルとなったのは、松江中学で西田千太郎の同級生だった本庄太一郎、そして、その妻となった渡部トミは島根県で初めて女性教師となった人物だ。ところが史実の2人のその後を調べてみると、驚くようなことばかりが……。

本庄も西田も、松江市雑賀町の生まれである。この町は総理大臣になった若槻礼次郎をはじめ、島根県の著名人を多数輩出してきた。今でも松江市立雑賀小学校は市内随一の名門校で、地域は「歴史と伝統と文化の町・雑賀」を誇っている。

そんな町に生まれた2人は、単なる秀才ではなく、現代とは感覚の違うエリートだった。

成績優秀の西田、突然退学して「授業手伝」に

西田は1875年、同年設立された教員伝習校附属小学校に入学している。これは当時松江に滞在していた旧宇和島藩主家の伊達隆丸の学友として、県から直々に指名されたためだ。明治時代とはいえ殿様の子供と同居生活を送っていたというから、その優秀さは折り紙付きである。

1876年には松江中学に入学、成績は常に首席だった。ところが1880年、西田は突然中学を退学している。『松江北高等学校百年史』(島根県立松江北高等学校1976年)によれば、その事情は次のように記されている。

退学して授業手伝になることは、かれの本意ではなかったと思われる。両親の意向に沿ったものであろうと想像される。父平兵衛はこのころ県庁に勤めていた。

西田家は、資料によっては「卒の家」と書かれている。武家では末端の足軽の家計なのだが、士族のセツの実家・小泉家や養家の稲垣家のように没落するまではならなかった。とはいえ、県庁に勤めていても家計が苦しかったのだろう。このまま在学すれば学費が出ていくばかりだが、授業手伝となれば月給が貰えるという、経済的な判断だったと思われる。

この授業手伝というのは、後の代用教員などと呼ばれるもの。当時は制度が定まっておらず、学校の裁量で雇うことができた。とはいえ、優秀な学生でなければ採用されない。先日まで一緒に学んでいた同級生に教える立場になるというのは、なかなか居心地が悪そうだ。