待遇が“上”の本庄、昇給ペースの速い西田
本庄は西田と入学以来の旧友で、しかも同じ雑賀町生まれである。本庄のほうは退学することなく1882年に中学校を卒業し、彼もまたそのまま授業補助として雇われている。
ここで興味深いのが、卒業したほうが有利だったのか、という問題だ。
『松江北高等学校百年史』によれば、西田は月俸3円の授業手伝として採用され、その後1881年に中学校教諭補助(月俸6円)、1883年に8円、1884年には10円まで昇給している。対する本庄は、1882年に月俸5円の授業補助として雇われた。
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