本庄は全科目で及第、西田は英語だけ不合格
そして2人は1886年5月の文部省中学校師範学校教員検定を受検。当時の試験は5科目を選択して受験する方式である。西田は選択した5科目中、4科目で1位を獲得し合格。この試験、例えば「経済」は受験者数37名中及第5人とあるから、かなりの難関であったことが窺える。それで、4科目も1位なのだから驚異的……なのに、もう1科目選択した英語は、なんと不合格になっている。
八雲をあちこちに案内し、通訳も見事に果たした西田なのに、英語がまさかの不合格! 驚いてしまうが、現代でもTOEICの点数がやたら高いのになにも話せない人、その真逆の人もいることを考えると不思議ではない。
一方の本庄は、全科目及第で合格。英語は3位だし、植物学では、及第は本庄一人だった。
いずれにしても、県が学資まで出したのは大成功……だったはずなのだが、その後、八雲の協力者として島根県の文化に寄与したのは西田だけだった。
どういうことか?
正規教員となったことで、西田はすぐに教員として就職。最初は兵庫県の姫路中学に赴任している。月俸は45円。責任も多くなるが、授業補助で10円貰っていた時よりも4倍以上の昇給だ。西田としては、しばらくは現場で教員をやって学資を貯めながら、さらに勉強しようという目論見だったようだ。
西田は帰郷、本庄は出世コースへ
ところが1888年、島根県から島根県尋常中学校(松江中学校)教諭に就任せよという要請が来る。西田はこれを断りきれずに帰郷した。その結果、八雲との運命的な出会いが生まれることになる。
一方、本庄はといえば……郷里は完全にスルーである。東京府尋常師範学校教諭から、京都府尋常中学校校長へと華々しく出世街道を突き進む。島根県が学資補助まで出して育てた人材だというのに、「島根? ああ、出身地ですね」程度の扱いだ。
県としては「せっかく投資したのに……」という思いだったかもしれない。だが本庄からすれば、地方の名門校より、都会の一流校のほうが出世である。合理的判断といえば、合理的判断である。
この時点で既に、2人の人生の方向性は決定的に分かれていた。西田は「地元への恩返し」、本庄は「立身出世」というわけだ。
そんな本庄と結婚したのが、サワのモデルである渡部トミであった。このトミも、1875年に雑賀南小学校の初めての卒業生になった人物。当時は小学校を卒業するだけで勉強が優秀かつ、家庭の理解があると見做されたので父母と共に表彰されている。ドラマのような出会いがあったかどうかは定かではないが、同じ町の人間という繋がりで結婚に至ったのであろう。

