“試験の不正”で退職した本庄
ところが、この夫婦の後半生はなかなか酷い。
出世をしていった本庄は、1915年には長野県の松本中学校の校長に就任。ところが、翌年には退職を余儀なくされている。理由は試験の不正である。校長に就任した本庄は学力や体力、素行などが優秀な者に限って特別入試の枠を設けると決定し、試験を実施した。現代でいう特別推薦入試である。
これによって松本中学は優秀な学生を獲得してめでたしめでたし……とはならなかった。合格者の中に本庄の息子・益男がいたのである。
当時を知る人によれば、多くの人はこう考えたという。
入学してみると、各組にこの無試験組が優越感をもって君臨している。その中に本庄校長の長男が交じっているので、さては校長は自分の倅を入学させたいので、こんな制度をやったのだなと勘ぐったし、同輩がその目で見るのだから本庄君こそ可哀想であった。
(『長野県松本中学校・長野県松本深志高等学校九十年史』松本深志高等学校同窓会1969年)
西田がいたから、八雲とセツの物語が生まれた
この文章、本庄君を「脂ぎってはち切れそうな親父」とは似ても似つかぬひ弱そうなおとなしい少年とまで書いている。ドラマの庄田がそんな俗物となるなんて! と思うと愕然としてしまう。
いや、こうしてみると島根県が県の費用で正規教員となった優秀な人材を呼び戻せ! となった時に西田に要請したのは大成功だったろう。これ、まかり間違って「試験の時に西田は落第、本庄は3位でした」と本庄を戻してたらどうなってたか。
八雲は「ジゴクジゴク」と松江を去って、セツにも出会わず、当然『怪談』が執筆されることもなかっただろう。西田千太郎という、立身出世より地元への愛着を選んだ男がいたからこそ、小泉八雲と小泉セツの物語が生まれたのである。
ラフカディオ・ハーンと妻の節子さん(熊本)。ラフカディオ・ハーンは写真の中で、負傷した左目を隠そうとした。[写真=Rihei Tomishige (1837-1922)/PD-US/Wikimedia Commons]
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