※本稿は、西村カリン『日本 「完璧」な国の裏側』(河出書房新社)の一部を再編集したものです。
なぜ世界一だった日本の技術・産業は衰退したのか
日本企業における研究環境は実際、15年ほど前に変化したようだ。期限が決められ、結果が要求される――これは想像力を抑えるコルセット、思考を拘束する首かせだ――縛られた計画に基づいて研究を進めることがより重視されるようになった。
研究者は自由と偶然と時間がお金と同じくらい必要であるのを知っているのだが、研究所は今では結果を出さなければならないというプレッシャーに晒されていると多くの古参研究者は強調する。
お金のほうは、とても幸いなことにまだある。政府が科学政策立案の基礎資料としている「科学技術指標」の2022年版によると、研究開発費と研究者数において日本は主要国*1の中で米国・中国に次いで3位である。
それゆえ、一見したところ日本は何も恥じることはない。さらに日本は科学論文と発表の数でも5位である〔最新の2024年版でもそれぞれ順位に変化なし〕。その一方、博士号取得者数は米国、中国、韓国では大幅に増えているものの、日本では減少している。
私はどちらかというと、日本の技術的・産業的衰退には文化的・社会的原因が大きく関わっていると考えている。
*1―日本、米国、ドイツ、フランス、英国、中国、韓国。
創造性を妨げる2つの要因
日本企業にはモノづくりの文化、すなわち手作業(職人)や自動機械装置でモノを製作する文化がある。どちらの場合も構成部品を工作し、組み立て、実際に機能させるという工程だ。日本企業はモノ、機械工学、手技との身体的、触覚的、美的な関係に長けている。この領域では日本人は過去において他の追随を許さず、今日もまだ秀でており、明日もきっと相変わらず優れているだろう。
このノウハウは今でも評価されており、それはとてもよいことだ。カメラ、スマートフォンのカメラ、ジャイロセンサー、そして私たちの日常生活に溢れているモノに使用されているほかの多くの部品が、驚異的な小型化と精度を誇る日本の構成部品で埋め尽くされているのは偶然ではない。が、仮想の世界、抽象化の世界、非物質的なモノの世界はあまり日本人が得意とする分野ではない。しかし、近年の技術革新において主導権を握っているのはまさにこの世界だ。それゆえ日本は降格した。
こうした総括は、より幸運な時代を経験した多くの研究者たちのそれと同じであり、彼らは今日、創造性を妨げるこの国の内向きな姿勢と開放性の欠如を嘆いている。

