今後の国際情勢はどのように変化していくのか。日本工業大学大学院技術経営研究科の田中道昭教授は「歴史や古典がヒントになる。古代ローマの『五賢帝』の時代は、現代人が直面している環境と驚くほどよく似ている」という――。
古代ローマの皇帝マルクス・アウレリウスの像
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なぜ「暴君」のような政治家が誕生するのか

2026年、1月3日以降、世界は奇妙な二重構造の中にある。人工知能は人間の判断を補助し、宇宙開発は国家の射程を地球の外へと広げ、テクノロジーは確実に未来へ進んでいる。ところが同じ時代に、政治の振る舞いだけが逆方向へ動き出しているように見える。

国家のトップが、重大な決断を事前の説明や合意形成を飛ばして突然下す。国境が動き、約束が反故にされ、昨日までの前提が理由も示されぬまま無効化される。強い言葉が投げられ、説明は省略され、異論は敵意として扱われる。言葉は理解のためではなく、従わせるための道具になる。

重要なのは、こうした振る舞いがもはや「異常」ではなくなりつつある点だ。多くの人はニュースを見ながら驚かなくなり、「またか」「どこかで見たことがある」と感じ始めている。この既視感こそが最大の警告である。それは特定の国や特定の人物の逸脱ではない。政治の作動様式そのものが、ゆっくりと、しかし確実に“別のモード”へ移行しているというサインだからだ。

「決断力」という名の思考停止

前稿で私は、この現象を政治が「統治」から「演劇」へと変質した結果として診断した。国家は私物化され、軍事力や経済力という「黄金の頭」を誇示しながら、社会の結束、財政規律、真実への合意という「粘土の足」から崩れ落ちていく。その構図は、ダンテ『神曲』の地獄篇が描いた、理性を喪失した世界と驚くほど重なっている。

だが診断は出発点にすぎない。読者が次に問うのはただ一つだ。「では、どうすればいいのか」。絶望を語るだけなら予言者の仕事である。戦略家の仕事は、どんなに困難でも、回復の条件を特定し、再発を防ぐ設計図を示すことにある。本稿は、診断の後で、その問いに正面から向き合う試みの一歩である。

現代政治の異変は、強権的な指導者が現れたこと自体ではない。より本質的なのは、そうした振る舞いが一定の支持を得てしまうことである。強い言葉、即断、敵の名指し、説明の省略。これらは「わかりやすい」「決断力がある」と見なされやすい。社会が不安定なほど、この評価は広がる。