「七帝柔道」とは、戦前に帝国大学と呼ばれた東大や京大、東北大など全国7つの国立大学が凌ぎを削る、寝技中心の柔道のことである。前著『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』で圧倒的な評価を受けた増田俊也さんは、かつて2浪の末に北海道大学の柔道部に入り、人生に対する価値観が変わるほどの濃密な時間を過ごした。本書はその4年間を描いた自伝的小説だ。
「先輩たちの寝技の強さ、そして練習量の多さ……。打ちのめされました。時計の針が動いた瞬間に主将が声を上げ、限界を超える練習がどこまでも続く。そこにあるのは、自分たちの意思で自分たちを律する凄まじい世界だったんです」
彼らが勝利を目指す大会・七帝戦は、1本勝ちのみによって決する15人の団体戦だ。日頃の練習量が何よりもものをいうため、その日々は過酷を極めた。いつ終わるともしれない乱捕り、「まいった」が認められず何度も意識を失い、畳で擦れた耳が潰れていく。すべては七帝戦に勝つために。
なぜこれほど苦しい練習に耐えねばならないのか――その自問はいずれ「なぜ生きるのか」という問いに変わっていった、と増田さんは言う。
「なぜ自分はこれをするのか、生きること自体にどんな意味があるのか。たとえ答えが出なくとも、それを考えるのが生きるということ。北大での日々は僕にとって、そんな自身への問いかけを凝縮し、煮しめたような時間だったと思います」
当時の北大柔道部は必ずしも強いチームではなかった。どれほど過酷な練習に耐え抜いても、その先にはいつも敗北があった。
増田さんが描くのは、負けては涙し、屈辱を抱きかかえながら、ゆえに成長していく柔道部員の群像だ。彼らは部の伝統を引き継ぐ中で、次第に生きるうえでの「本当の強さ」を手に入れていくかに見える。そこから浮かび上がるのは、何かを問い続けること自体の持つ価値であり尊さだろう。
「弱さも敗北も決して悪いことではない。むしろ挫折こそが素晴らしく、どう負けたかこそが人生にとって重要なんです」
万感の思いを込め、仲間1人ひとりの姿をときに涙しながら描いた。
「持って生まれた体格、育った環境、頭脳や能力。結局はすべて借り物にすぎません。書くことを天から与えられた1人の作家として、その借り物が消える前に何を世の中に返せるのか。そこにいる全員が強さと弱さを認め合うこの世界の物語は、僕にとってまず書かなければならないものの1つでした」