『AFRIKA WAR JOURNAL』は、写真家の亀山亮氏が2003年から10年までコンゴ、シエラレオネ、リベリア、ブルンジなど、殺戮と略奪が日常化したアフリカの紛争地域に通い続け撮影した写真の集大成だ。
「マイマイ」と呼ばれる自衛民兵の群像。権益から紛争につながる希少金属の採掘現場。目の前で家族を殺された女性の虚ろな目……。ページをめくるたびに普段の生活からは想像できない描写が目に飛び込んでくる。
中学生の頃、ベトナム戦争の写真に夢中になった。写真の“瞬間の強さ”に引き込まれ、いつかはアフリカに行ってみたいと思っていたが「いたるところに死体がころがる想像以上の暴力。誰が何のために戦っているのかわからずに戦闘を続ける現場にショックを受けた」と写真集の契機となったモンロビア(リベリア共和国)の戦闘を振り返る。
「現場に行っても戦争というものはわからなかった。ただ、そこの雰囲気を肉体で理解したい。凄惨な現場に身を置けば置くほど先入観が崩されて自分の考えが変質してゆく。それをしっかりと受け止めることが、僕にとっては重要だった」
暴力と偶然性が入り交じった戦争は「善か悪か、白か黒ではない灰色」。説明できない状況を自分の肌で知った何かで伝えたい。「現場で呻吟する人たちの息づかい、そういう存在のかけらを写真に残したいと思うようになった」。
兵士やPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しむ人、レイプ被害者といった戦争の当事者に目を向け、なるべく生活を共にしながら撮影した彼が見つめたのは、「傷」だ。割られた額の傷。縫合跡。凄まじい体験の後に精神科病院に収容された人たち。肉体と精神に残された生々しい「傷」に戦争の非情な刻印を見る。「肉体がなくなる怖さを少しは知っている」と語る彼もまた00年、パレスチナでの第二次インティファーダ(民衆蜂起)を撮影中に左目を失明した。
「不条理な状況の中、見知らぬ僕を受け入れた人々の優しさがなければ、決して撮影はできなかった」と亀山さんは語る。これは戦争の当事者たちの傍らで「受け入れられた」写真家が共感の眼差しを向けているということだ。その事実があるからこそ、読者は壮絶なイメージを最後まで見ることができる。
「援助から投資へ」とビジネスチャンスの注目を集めるアフリカだが“Win-Win”を標榜する経済の視点とは違う、傍らに寄り添う眼差しが表した知られざるサブサハラ諸国の苛酷な道程を、今こそ見るべきだろう。