2002年、著者の島田さんはアフリカにいた。いくつもの国を歩いたが、「本屋さんを見かけることなど一度もなかった」。最後の町で島田さんは尋ね回る――この町に本屋さんはありませんか。たどり着いた小さな本屋で、島田さんは1冊の小説を手にした。

失恋をしたということだ

空港にある本屋さん。山下書店羽田店。(『本屋図鑑』より。画・得地直美)

2000年の2月から2001年の2月まで、沖縄の糸満で暮らしていた。24歳だった。なぜ、糸満に移住したかというと、小説を書きながら、戦争のことを勉強したかったからで、このことに関しては書くことがあまりにもたくさんあるから、ここでは書けない。

書きたいのは、ぼくが糸満で失恋をしたということだ。

「島田くんとはつきあわんよ」

彼女にそう言われたとき、ぼくは衝撃で泣いた。信じられないくらい強い風が突然吹いて、自浄作用で涙が出るように、ボロボロと泣いた。悲しいというより、驚いた。泣いた。涙が止まらなかった。

いま考えると、大変馬鹿であった。泣きやんだぼくは、彼女といろいろ話をして、結果、アフリカに行くことになった。どういう経緯でそんなことになったのか、全然覚えていないのだけれど、つまり、ぼくは彼女にこう宣言したのだ。「これから、もっともっと大きな世界を見てくるつもりだ」と。そう豪語して、とっさに口をついて出た行き先がアフリカだったのだ。

「ぼくは沖縄を出て、アフリカに行くよ」ぼくは彼女の目をしっかりと見て、そう言った。

もちろん、本当のところは「アフリカなんて行かないで」と彼女に言ってほしかったのだ。

彼女はなにも言わなかった。

その1年後、ぼくはサハラ砂漠の最北端で、ヒッチハイクをしていた。

サハラ砂漠の最北端、つまり、モロッコの最南端の町ダクラには、中古車をブラック・アフリカに販売するためのキャラバンが毎週出ていた。ぼくはその情報を『旅行人』の本で知って、いやいや、ここまで来た。

いやいや、旅費を稼ぎ、いやいや、ビザをとり、いやいや、予防の注射を何本も打って、汗でグショグショになりながら、アフリカ大陸までやってきた。

幸運なことに、モロッコで知り合った日本人(いまでも付き合いがある。親友である)が、中古のベンツを売りにきていたオランダ人と交渉してくれて、ぼくは彼のベンツでサハラ砂漠を越えることになった。

砂漠を越えるのに、実に、1週間かかった。

ぼくは、車のなかで、新潮文庫のフォークナーの『八月の光』を読んでいた。