涙がぼろぼろ落ちてきた。そして、杉山隆男さんは思った。
もう1度、書かなければ、と。
2011年4月。宮城県仙台市閖上。街を一望できる小高い丘に杉山さんは立っていた。
「整理できない感情が湧き上がってきて、涙が抑えきれなかった」と杉山さんは語る。
「ぼくのなかで〈兵士〉は、一端ケリをつけたテーマでした。けれど、多賀城や松島の駐屯地には、自分たちも被災しながらも、地元の被災者の救援に向かった自衛隊員がいた。3.11を書くのならそんな任務についた兵士たちを取材しよう、と」
杉山さんは、1995年に刊行した『兵士に聞け』を皮切りに自衛隊員の思いを丹念に取材し〈兵士〉の物語を描いてきた。そして6年前。五作目『「兵士」になれなかった三島由紀夫』で〈兵士シリーズ〉は完結した。
しかし東日本大震災が発生。兵士たちは、家族の安否に思いを馳せながら〈別命なくば駐屯地に急行せよ〉という災害時の自衛隊の行動基準を最優先させて、救助活動、遺体捜索、原発事故対処などの任務に従事した。
「いつもは批判的なメディアも自衛隊を好意的に取り上げ、国民に受け入れられた。理屈ではなかったと思うのです。原発批判は誰でもできる。でも、実際に何かが起きたときに行くのは誰か。自衛隊は原発事故というどうしようもない危機に立ち向かった。その現実を目の当たりにしたわけですから」
杉山さんの印象に残っているのは、防衛省の広報担当者のこんな言葉である。自衛隊を英雄にしないでください――。
「隊員ひとりひとりの生き様を描くだけです」と杉山さんは応えたという。そう。本書に描かれるのは、英雄ではない。気持ちを揺さぶられながらも「どうしようもない危機」に立ち向かう人間の「生き様」である。
物資不足で殺気立つ被災地で幼い子どもに「お水ちょうだい」と言われ、人目のない場所で自分の水筒を差し出す。日々、遺体捜索に携わるなか自分が行っているのは遺体の収容ではなく「この方を、家族にお返しする」ことだという思いに至る……。
兵士たちもまた整理できない感情を抱え〈ぼろぼろ落ちてくる〉ほど涙を流して、災害派遣という任務にあたっていた。
「ぼくは自衛隊が軍隊として扱われるような法整備が必要だと考えています。ただ戦争が主な役割の他国の軍隊とはひと味違って、これまでのように災害派遣にも対処できる組織にするべきです」
〈自衛隊は目立たない方がいい〉
兵士たちのそんな声が、自衛隊が歩んだ歴史を、そして存在する意味を突き付けてくる。