日本人に不足する、投影=プロジェクトという営み

東京大学大学院情報学環教授 
姜尚中氏

<われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか>

ゴッホと並び称される19世紀末の天才画家、ポール・ゴーギャンの畢生の作品のタイトルが、現代に生きる日本人の心理にぴたりと重なることに、私は驚きを禁じえません。

2011年8月、私は、東日本大震災がもたらした悲劇に、まだ日本中が打ちひしがれているさなか、『あなたは誰? 私はここにいる』(集英社新書)というタイトルの絵画評論を上梓しました。いま、日本人は非常に苦しい状況に置かれています。世界経済はあたかも株価のように乱高下を繰り返し、しかもそれは1年、2年周期の景気循環による変動ではなく、どうやら世界の構造的な変化に根ざすものであるらしい。

国内に目を向ければ、長期的なデフレから脱却する道筋はまったく見えず、退職金、年金といったサラリーマンのライフスタイルを規定してきた制度が明らかな綻びを見せている。まさに、「われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか」が、まるで見えない状況にあるのです。

このきわめて不安定な、不安感に満ちた時代に、あえて「あなたは誰」なのかを問い、「私はここにいる」という確乎としたメッセージを届けたい。それが、このタイトルに込めた私の願いでした。

私が、絵画との鮮烈な出会いを体験したのは、20代の終わりのことでした。当時の私は、大学院は出たものの国籍問題で就職先が見つからず、日本から逃れるようにドイツへ留学していました。鬱々とした不安な日々を送っていた私は、ふらりと入ったアルテ・ピナコテーク(ドイツの国立美術館)の1室で、1枚の自画像と運命的な出会いをしたのです。

それは、500年前に生きた画家、アルブレヒト・デューラーの描いた「自画像」でした。自画像のデューラーは私に向かって、

「あなたは誰?」

と問いかけ、

「私はここにいる」と語りかけてきました。

この絵は500年の間、私の来訪を待っていたのだ。そう確信できるほどの、眩暈を覚えるような邂逅でした。