北方ルネサンスの巨匠、デューラーの生きた時代は、ルネサンスという言葉の持つ明るいイメージとは裏腹に、戦乱、殺戮、疫病、飢餓が繰り返された陰惨な時代でした。
そんな時代をあるがままに受け入れ、迷うことなく絵画に生涯を捧げる。「自画像」からは、そんな決然たる意志と矜持が伝わってくるのでした。
そして私は、この自画像と出会ったおかげでモラトリアムに終止符を打つことができた。私も自分の置かれた状況をあるがままに受け入れ、それを超え出るための1歩を決然として踏み出そうと……。
いささか唐突に聞こえるかもしれませんが、いまの日本人にとって、「自分だけの1枚の絵」に出会うことは、とても大切なことだと思います。なぜなら絵画は、強烈な思い込みを許容してくれる芸術だからです。絵画には、自分の想像力や主観を丸ごと投影することができます。
投影とは、プロジェクトです。普通、プロジェクトというとき、われわれは複数の人間がある目的を達成するためにチームを組んで行動することを想定します。しかし、プロジェクト本来の意味は投影、すなわち自分の主観を世界に向けて投げかける行為のことを指すのです。
実は、現代の日本人に最も不足しているのが、この投影=プロジェクトという営みなのです。
周囲から単なる思い込みだと馬鹿にされようと、愚かな行為だと冷笑されようと、なりふり構わず主観的な思い込みで突っ走るパワーが、現代の日本人には決定的に不足している。
こうしたパワーは、決して複数人によるプロジェクトでは発揮されません。ヒューマンリレーションを気にかけざるをえない状況では、思い込みのパワーは出ない。たったひとりの、主観的な思い込み。蛮勇とでも呼ぶべき思い込みこそ、新しい時代を開く力なのです。そして絵画には、そんな思い込みを完全に解放してくれる力があるのです。
絵画にはまた、精神をリフレッシュさせる力があります。リフレッシュといっても、心理カウンセラーやセラピストが行うような、生やさしいものではない。自我が溶け出し、最後には消失してしまうようなリフレッシュです。
私は、マーク・ロスコやパウル・クレーの抽象画に出会ったとき、まさに自我が溶け出していくのを体験しました。それは、自我と世界の関係を引き裂かれるような感覚でしたが、決して恐ろしいものではなく、エクスタシーに似た快感を伴う体験でした。そして、自我が溶け去った後に、何か新しいものが自分の中に芽生えてくるのを感じるのでした。