大谷翔平選手など、現在、多くの日本人がメジャーリーグ(MLB)で活躍している。その先駆者ともいえるのが、約60年前に、日本人で初めてメジャーリーグに挑戦した村上雅則さんだ。スポーツライターの元永知宏さんによる『長嶋茂雄が見たかった。』(集英社)より、村上さんのエピソードを紹介する――。(第2回)
ドジャースの大谷翔平
写真=Wikimedia Commons
試合開始前のロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平 MLB東京シリーズ プレシーズンゲーム ロサンゼルス・ドジャース対読売ジャイアンツ東京ドームにて(写真=ウィ貴公子/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)

初の日本人メジャーリーガーが体感したレベルの違い

1964(昭和39)年、村上(※)は南海のチームメイトふたりと一緒にアメリカに渡ることになった。

※村上雅則:1963年に南海へ入団し、翌年にサンフランシスコ・ジャイアンツの下部組織である1A、フレズノ所属した。その後メジャー昇格し、日本人初のメジャーリーガーとなった。

「将来を見越しての“留学”という意味合いだった。プロ入りする前から『アメリカに行かせてやる』という話だったから。はじめは3カ月だけという予定で、6月か7月には帰国するつもりでお土産もたくさん買いこんだんだけど、いつまで経っても『日本に帰ってこい』と言われなかった。当時、サンフランシスコ・ジャイアンツの極東スカウト担当にキャピー原田という人がいて、彼が『このままアメリカにいろ』と言う」

村上はナショナル・リーグのジャイアンツの下部組織である1A(シングルA)フレズノに所属することになった。

「のちのちAAAの監督に『日本から来た時に、おまえにはAAAの実力があったけど所属するチームは日系人の多い町のほうがいいだろうという判断になった』と言われた。そんな事情を知らないまま、フレズノでプレーしたよ」

実際に戦ってみて、日本とアメリカのレベルの違いを感じた。

「日本の二軍とアメリカの1Aが同じくらいじゃなかったかな。俺は1年目に106イニングを投げて、159個の三振を取ったんだよね。あの頃に投げていたのはストレートとカーブぐらい。あとはときどき、シュート系のボールを投げるくらいで。チェンジアップを教わったんだけど、うまく投げられなかった」

全く違った食事の内容

言葉の壁、慣れない食事などさまざまな障害に悩まされることはなかった。

「あの頃は、日本のプロ野球で出される食事はさびしいものだった。キャンプでも、朝食はみそ汁にご飯、おかずはメザシに卵焼きかゆで卵と漬物。ご飯を2、3杯おかわりしてお腹をふくらませるという感じだったから。夜もたいしたものは出てこなかった。それに比べれば、アメリカの食事は恵まれていたよ。

初めてオレンジジュースを飲んだ時には驚いた。100%のオレンジジュースなんか、日本ではなかなか飲めなかったじゃない? 一杯飲んですぐに『もう一杯くれ』って言ったもんね。ベーコンもいくらでも食べられるし、卵焼きをふたつでもみっつでも好みに合わせて焼いてくれた。アメリカのパンは本当にうまかったんだから」

アメリカですぐに“マッシー”と呼ばれるようになった村上は、8チームで構成されたカリフォルニア・リーグで新人王、リリーフ投手としてベストナインに選ばれた。