東京電力が柏崎刈羽原発(新潟県)の再稼働に向けて動いている。2011年の福島第一原発事故後、東電は初めて原発を運転させることになる。再稼働容認を表明した新潟県の花角英世知事に対して、事故当時、知事を務めていた泉田裕彦さんは「知事としての使命を果たしていない」という。調査報道記者の日野行介氏が話を聞いた――。

再稼働に同意する知事は“汚れ役”

【日野】今回の花角知事の表明をどう感じましたか? 新潟県が国や東電と水面下で続けてきた非公開協議の議事録を読むと、2018年の就任後、着々と布石を打ってきてここにたどり着いた印象です。いわば既定路線であって、「苦渋の決断」でも何でもない。

【泉田】「苦渋の決断」だったかもしれませんよ。もっと早く表明しても実態は何も変わらないのに、遅くなってしまったという意味で。県民の生命、安全、財産、健康を守るという知事の職務や使命ではなく、時間をかけることによって自らの地位を守ったということでしょう。

【日野】原発の再稼働は法律では規制委が安全審査で可否を判断することになっているのに、実質的には法律に基づかない安全協定によって知事が判断しています。いわば知事に“汚れ役”を押し付けている。これは国の責任回避のシステムです。

【泉田】住民を守るための制度改正をお願いしても国は対応してくれませんでした。それで、再稼働の圧力だけがくるのですから、知事は批判の“弾避け”にされていると感じました。

2004~2016年に新潟県知事を務めた泉田裕彦さん
撮影=プレジデントオンライン編集部
2004~2016年に新潟県知事を務めた泉田裕彦さん。原子力防災の不備を厳しく指摘し、「福島原発事故の検証がなされない中で、再稼働を前提とした議論はしない」という立場を貫いた

中越沖地震で実感した国と東電のウソ

【日野】泉田さんと花角さんは何が違うのでしょうか?

【泉田】私は知事時代に世界初の原発震災を体験しています。それと、原発事故後の福島への支援経験もあって、万が一の時の現行制度の不備を身体が憶えています。

【日野】2007年7月16日の中越沖地震ですね。やはりあれが東電と原発行政への不信感のきっかけになったわけですね。

【泉田】出火の一報を聞いて柏崎刈羽原発とのホットライン電話を架けたけど通じませんでした。地震で建物のドアが歪んで部屋に入れなかったそうです。当時の首相(安倍晋三氏)がヘリで視察に来ましたが、原発敷地内のヘリポートが使えず、柏崎市内の臨時ヘリポートに降りて、そこから車で原発に向かいました。

いざ事故が起きると、東電や国の担当者たちが日ごろ言っていることはあてにならず、ちぐはぐなことが山ほど起きる経験をしています。花角知事は危機的な状況を体験していないから、住民を守るという意識が湧かないのでしょう。

記者会見する新潟県の泉田裕彦知事=2007年7月16日午後10時25分ごろ、新潟県庁(新潟県中越沖地震)
写真=共同通信社
新潟県中越沖地震発生直後、記者会見する新潟県の泉田裕彦知事=2007年7月16日午後10時25分ごろ、新潟県庁