アドバイザーからの忘れられない一言

1年生にはアカデミック・アドバイザーがつき、専攻を選ぶまでの助言を受ける。学生は2年生になると専攻を決めることを求められるのだ。僕は秋に担当アドバイザーと会えなかった。春学期のはじめに彼のオフィスから電話があり、面会の時間を決めた。

僕はコンピュータ科学関係の大学院の授業をひと足先に履修させてほしいと求めていて、彼もそれを耳にしていた。僕は大学側を説得し、最初の学期にそうした授業をひとつ聴講していた。AMATH251a「オペレーティング・システムのアーキテクチャ」という授業である。春学期にそれを正式な単位認定科目として引きつづき履修する許可がほしかった。

一方、ほかの授業ははっきりと何かの専攻につながるとは思えなかった。数学55の後半を取り、生理心理学の授業に登録していた。「生物学的な機械として見た有機体の行動」に焦点を合わせた科目である。

僕のアドバイザーは化学科の教員で、彼とはすばらしい関係を築くことになる。このうえなく親切で、専攻の候補を検討する手引きをしてくれた。だが最初の面会ではぎょっとさせられた。

何を話したのか正確には憶えていないが、僕は当時の自分に典型的な、あのせかせかした思考の流れに飛び込んだ。未来のコンピュータはいまのほこりをかぶった古めかしい代物とはまったく異なるものになると熱く語り、心理学の授業に登録したのはいつの日かコンピュータが人間の脳の力に匹敵するようになるからだと説明する。

この言葉の渦にすっかり呑み込まれて、アドバイザーは言った。「きみはとてもませているな!」

友だちからも「悪ガキ」と思われていた?

そのときまで僕をそう呼ぶのは母だけで、褒め言葉として使われてはいなかった。こちらが口答えをしたり反発したりすると、「ませた子ね」と母は言う。そういう状況でしか耳にしていなかったから、僕はこれを侮辱ととらえ、言葉による鋭い平手打ちだと理解した。アドバイザーに否定的に受けとめられたことにショックを受け、がっかりして面談を終えた。

彼は僕の正体を見抜いている。僕はまた問題児の5年生に逆戻りしたのだ。

「信じられる? あいつに“ませている”って言われたんだけど!」

寮に戻って友人たちに話し、アドバイザーが礼儀の一線を踏み越えたことを確かめようとした。だれも反応しない。

「ませているだなんて。あまりにも失礼だよ」
「でもビル、きみは実際ませているじゃないか」

アンディが言う。さらにがっかりした。友だちにまで悪ガキだと思われていたのだ。きみはこの言葉の意味を知らないんだとアンディは言う。調べてみろよとだれかに言われて、実際に調べてみた。

“ひときわ早い成長……非常に若い年齢で成熟した特質を示すこと”