マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏は、世界最大規模の慈善団体ビル&メリンダ・ゲイツ財団を設立し、莫大な個人資産を寄付している。なぜ社会貢献に深い関心を示すようになったのか。『ビル・ゲイツ自伝I SOURCE CODE 起動』(早川書房)より、幼少期のエピソードを紹介する――。
ビル・ゲイツ氏
提供=早川書房
ビル・ゲイツ氏

アメリカ人のお手本となったケネディ家

僕の幼少期には無限の可能性を信じるこの空気が背景にあり、そのために母も僕らに大きな期待をかけていた。僕は母と父の両方に等しく育てられたが、母は時計の針を8分先にすすめていて、僕らは母の時間に合わせて行動した。

母は最初から家族について壮大な構想を抱いていた。父が大きな成功を収めることを望んでいた。成功はお金よりも評判の問題であり、コミュニティとより広く市民団体や非営利組織で果たす役割によって定義される。

子どもたちには学校とスポーツで優秀な成績を収め、積極的に人と付き合い、すべてに全力を投じてやり遂げることを期待していた。大学へ進学するのは当然だと思っていた。そこでの母自身の役割は、妻と母親として家族の支えになることと、コミュニティで影響力ある人間になることで、それがやがて母のキャリアになる。

はっきり口にしたことはなかったが、おそらく母にとってゲイツ家のお手本は当時の最も有名な家族、ケネディ家だったのではないか。さまざまな悲劇と問題に襲われる前の1960年代はじめには、この有名一族は見た目がよく、成功を収め、活動的で、スポーツ好きで、洗練された暮らしを送るアメリカ人一家のお手本だった(メアリー・マクスウェル・ゲイツをジャッキー・リー・ケネディになぞらえる母の友人もひとりならずいた)。

「整理された状態」を保つことがルール

僕らは母が築いたルーティン、しきたり、規則の構造に従って暮らした。父の言葉を借りるなら、母は「よく整理された家庭」を切り盛りしていた。母には正しいやり方とまちがったやり方がはっきりとあって、ごくありふれたことからこのうえなく大きな決断や計画まで、生活のあらゆる面にそれを当てはめた。

ベッドを整え、部屋を掃除して、アイロンのかかった服を着て、1日の準備を整える――毎日のこうした平凡な作業が神聖な儀式だった。ベッドが乱れたまま、髪がぼさぼさなまま、シャツに皺が寄ったまま家を出てはいけない。

子ども時代に何度もくり返し耳にした母の命令は、いまでは僕の一部になっている。もっとも、いまだに従ってはいないが。