正義感の強い父が憤った「ある事件」
弁護士という職業が何かを知りもしないうちから、法律とは尊敬すべき何かなのだと父から感じとっていた。父の話を聞くと、強い正義感の根本にあるものが垣間見えた。
キャンウェル委員会についての話も聞いた。母と父の学生時代にワシントン大学を席巻した反共産主義の魔女狩りのことだ。州議会議員でこの委員会のトップを務めていたアルバート・キャンウェルは反対尋問と異議申し立てを禁じ、ほかの公正確保の手段も平然と無視した。
その数年後に全国規模でおこなわれるマッカーシー聴聞会の先がけとして、この委員会は無実の人たちのキャリアを台なしにした。父の恩師もふたり犠牲になる。父は聴聞会の報道に愕然とし、委員会の目に余る不正に軽蔑を覚えた。
裁判ドラマより残業する父のほうが興味深い
母と父はたまに大人気のテレビドラマ『ペリー・メイスン』を見せてくれた。優秀な刑事事件弁護士が手がける裁判を中心に話がすすむ。エンドクレジットが流れる直前に厄介な事件が魔法のように解決し、大団円を迎える。父の話を聞いていた僕は、法律(と人生)はそんなに単純なものではないと知っていた。
父が手がける案件はとんでもなく複雑そうだった。父は夕食後もたいてい遅くまで起きていて、ダイニングルームのテーブルで書類の山と格闘し、翌日の訴訟案件の準備をする。テレビで見る仕事よりずっと地味だが、僕にははるかに興味深かった。
ボランティアや社会貢献などについて、母と父がやや高潔で立派すぎるように聞こえるかもしれないが、それは仕方ない。実際そういう人だったのだ。多くの時間を計画や会議、電話や運動などに費やし、コミュニティを手助けするために必要なことをなんでもやっていた。
父は朝には学校運営用の地方税を支持する看板を身につけてサンドイッチマンとして街頭に立ち、夜には会長を務める大学YMCAの役員会に出席する。僕が3歳のとき、母はジュニア・リーグのプログラムの責任者として、4年生の教室で博物館の収蔵品を見せた。
僕がこれを知っているのは、新聞で取り上げられたからだ。母と僕と医療用品の箱を収めた写真の下に、こんなキャプションがついている。「“ティリカム・ボックス”に入った昔の医療用品キットを調べる3歳半の息子、ウィリアム・ゲイツ3世を見守るウィリアム・ゲイツ・ジュニア夫人」



