世界トップレベル大学の「試練」
大学入学後の数カ月は、お菓子屋さんにいる子どもみたいな気分だった。無限に存在するかのような専門家と知的刺激に目がくらんでいた。
1年生の人文学の授業「ギリシア古典の興隆」では、ジョン・フィンリー教授がホメロス、ヘロドトス、アリストパネスを映画のように現代の生活・文学と結びつけた。プログラミングの限界に挑戦させてくれる自主学習の自由が僕は大好きだった。上級微分積分学のクラス「数学55」でジョン・マザーの問題と格闘し、切磋琢磨するなかで得た友情からエネルギーをもらっていた。
だが最初の学期の終わりごろには途方に暮れていた。僕は1学年に90人もいない小さな学校からハーバードへやってきた。レイクサイドでは、きっかけを掴んだあとはたやすく優秀な成績を取り、みんなに認められた。教師、学校管理者、親の緊密なコミュニティにも支えられていた。
みんな僕が普通とはちがい、頭がよくて不器用な子だと知っていて、ときどき背中を押されたり(“演劇の授業を取りなよ、ビル!”)、自由を与えられたり(“もちろんだ、1学期休んで働いてきなさい”)する必要があることもわかっていた。
各高校のトップが「いちばん」を目指す
ハーバードでは僕はひとりぼっちで、はるかに大きなプールで泳いでいる。みんなそれぞれの高校でトップだった子で、いい成績を取る方法を知っていて、いちばんになろうと努力している。
これを切実に感じたのは、有機化学の授業に出たときだ。数百人の受講者はほとんどが医学部進学課程の学生で、医者になるまでの長い道のりに欠かせないハードルとして、この授業でいい成績を収めようと固く決意していた。僕がこれを履修したのは単純な理由からで、モリス博士の高校化学が大好きだったからだ。医学部へすすむつもりはなかったが、それでも有機化学は次の段階として自然だと思えた。
巨大な講堂の前にいる教授を食い入るように見つめながら、クラスメイトたちはとんでもなく分厚い教科書を危なっかしく膝にのせ、色のついた球と棒のキットでてきぱきと分子を組み立てている。僕は怖じ気づいた。

