数学でトップクラスになることの難しさ
その授業でもっといい成績を取れなかったことで、自分についての考えを見直すことを迫られた。いちばん頭がいいこと、だれよりも優秀であることが僕のアイデンティティだった。その立ち位置を楯にして不安を隠していた。そのときまで、自分にとって大切な知的活動でほかの人のほうがはるかにすぐれていると感じた経験はごくわずかしかなかった。そうした場合には、その人たちから学べることを吸収した。
今回はそれとはちがう。自分には優秀な数学の頭脳はあっても、トップクラスの数学者をほかから際立たせる洞察力はないのだと気づきはじめた。才能はあっても、根源的な発見をする能力はない。10年後の自分の姿が見えた。大学で教えているが、画期的な仕事をする力はない自分。ジョン・マザーのようにはなれないし、宇宙の深い神秘に数学が触れる領域で仕事はできない。
僕だけではない。その冬に寮で話しているとき、アンディとジムも途方に暮れて心の危機に直面していることを打ち明けていた。ふたりともマザーをお手本にしていて、純粋数学をつづければあんなふうになると思っていた。マザーは優秀だが自分の世界で生き、具体的なものからは完全に切り離されているようだ。
その時点ではわからなかったが、アンディはそれから1年もしないうちに純粋数学に燃え尽き、3年生のときに1学期休学して、応用数学専攻で卒業した(のちに法律の学位を取ってウォール街で税金の専門家になる)。ジムは物理学の学位を取って卒業した(その後、コーネル大学で有名な物理学の教授になる)。
「どうしてコンピュータをやらないんだ?」
数学55の仲間のひとり、ピーター・ギャリソンも同じような気づきを経験した。彼にとって純粋数学は至高の芸術のようなものだった。ミケランジェロの『ダビデ像』の偉大さをピーターは理解できたが、それほど完璧なものは自分にはとうてい生み出せないとわかっていた。純粋数学者になるには、ミケランジェロになれると信じられなければならない(ピーターはほかならぬハーバードで科学史の影響力ある教授になる)。
僕は何になるのだろう? 親からは暗黙の期待があった。その2月にリックに書いた手紙で僕はこう語っている。「先週、親とニューヨークへ行った。劇を観たり、高級レストランへ行ったり。ふたりは僕がビジネスか法律を選ぶのを望んでいる。口に出しては言わないけどね」。ニューヨークで何があったのかはわからないが、こうした選択肢を母と父が望んでいる気配を感じとったのだろう。「僕はまだ何も決めていない」
実は潜在意識のなかではすでに答えに近づいていた。ハーバードの友人の多くは、僕が数学にこだわっているのはおかしいと考えていた。ロイド・トレフェッセンという友人(結局、数学者になった)から、当然の結論へ目を向けるようにうながされたのをはっきり憶えている。「コンピュータがとても得意じゃないか。どうしてそれをやらないんだ?」


