「紛争解決」という言葉は食卓で学んだ

父が帰ってくると、間もなく夕食がはじまる。たいてい母は、本を読むのをやめなさいと僕に言う。食事中の読書は禁じられていた。夕食は一家団欒の時間だ。

母が聞いた話によると、JFKの父、ジョセフ・ケネディはあらかじめ一人ひとりの子どもにテーマを与え、夕食の席で話をさせたという。将来の大統領は、ニンジンを齧る合間にアルジェリアの概要を説明させられたのかもしれない。

このケネディ家のしきたりと、団欒の時間に学べる大事なことについて、僕らは夕食の席で話し合った。母と父は何かを暗誦させようとはしなかったが、僕らはその日の出来事を話し、母と父も自分たちの話をする。こうした会話を通じて僕は大人たちの生活を想像するようになり、大人たちが暮らす広い世界で起こっていることに思いをめぐらすようになった。

「マッチングファンド」や「紛争解決」といった言葉を初めて聞いたのも夕食の席だ。母がジュニア・リーグのキャンペーンやユナイテッド・ウェイの課題について語るなかで出てきた言葉で、母の声は真剣な調子をおびていた。

人生哲学を子どもに何度も教えた母

だれもが公平に扱われるべきだ。どの問題も慎重に検討されなければならない。1ドル1ドルが賢明に使われるべきだ。母は人生哲学をひとつの言葉にまとめていて、僕らは頻繁にそれを耳にした。「よき世話役〈スチユワード〉」たれ。母の定義はメリアム゠ウェブスターの辞書の定義と同じだ。任されたことを慎重に、責任をもって管理すること。まさに母のことにほかならない。

父は当時、スキール・マッケルヴィー・ヘンケ・エヴェンソン&ウルマンで働いていた。強硬かつ徹底した訴訟で知られる法律事務所だ。法廷のブルドッグを演じることが父の気性に合っていたとは思えないが、陸軍のときと同じく、いい訓練になると思っていたのだろう。

父が手がける訴訟の細かい点までは理解できなかったが、事務所から重要な仕事を任されていることはわかっていた。父の最大のクライアントで成長中の地元化学薬品企業、ヴァン・ウォーターズ&ロジャースの名がいつも話題にのぼっていた。