93歳で亡くなる直前まで毎日出社

著名人にも、近所の人にもタクシーの運転手にも同じように、丁寧だけどちょっと親しげな調子で「あなたねえ」と話しかけ、人だかりには必ず近づき、「何をやっているんですか」「何が面白いの」と尋ね、自分の足を使って常に「タネさがし」をしていたという鎭子。

倒れて自宅療養するようになってもその好奇心は衰えず、93歳で亡くなる1年ほど前まで毎日出社し、面白いことを探し続けた。鎭子の妹の娘・阪東紅美子氏によると、その元気の源の一つは「健脚」だったようで、自宅から15分ほどの最寄り駅までは必ず歩き、駅の階段も手すりを使わずにおりて、最後の一段を飛び、周囲をハラハラさせることもあった。

「私が元気なのは、第六(現都立三田高校)のおかげなの。とにかくよく歩かされたのよ」という自慢の健脚が奪われたのは、平成24年6月18日。昼食に出かけようと社屋を出たところで転倒し、救急車で運ばれ、1週間余り入院することとなり、それを機に外出ができなくなり、徐々に食欲がなくなり、寝たきりになってしまったのだ。

編集者として遺したラストメッセージ

しかし、自宅療養するようになっても、探求心は衰えず、分厚い外国の料理本を真剣に眺めていたというから、仕事に復活する日を夢見ていたのかもしれない。90歳を過ぎても、毎日のように編集部に顔を出し、「何かおもしろいことない?」「みなさんに喜んでいただける本を作りましょうよ」と編集部員ひとりひとりに声をかけていたという鎭子。90歳のときの肉声テープではこんな言葉が残っているという。

「何でも、やってみなければ、あたってみなければ、わからないでしょう? だめだったら、ごめんなさいって謝ればいいのよ」

亡くなるときまで、一編集者として好奇心を失わず、面白いこと探しに走り続けた人生だった。

検索時にプレジデントオンラインに関連する記事が表示されます

【関連記事】
たった1年で婿に逃げられ橋からの身投げを考えた…「ばけばけ」のモデル小泉セツの初婚の意外過ぎる顛末
51歳で亡くなった夫の遺志継ぎ音楽家育成に献身…81歳声楽家が「死ぬまで文句を言い続ける」と決めているワケ
姑に「中卒の能なし」と言われ続けた…嫁入り翌日からイジメに耐えた91歳、「よそ者の嫁」が「村の宝」になるまで
なぜサンリオ辻会長は「やなせたかし」に資金を出し続けたのか…詩集だけではない反対押し切り始めた新事業
天才絵師の最期はあっけなかった…「べらぼう」で染谷将太演じる歌麿の転落の契機となった絵に描かれた人物