第二次世界大戦で、イギリス・ロンドンは8カ月にわたってドイツ軍の爆撃を受け、4万人が死亡する被害を受けた。ジャーナリストのマルコム・グラッドウェルさんは「政府はパニックや、精神を病む市民の急増を予想したが、予想は大きく外れた。爆撃は、ぎりぎりで死を免れた“ニアミス”の人にはトラウマを残すが、直接的な被害がなかった“リモートミス”の人には、『自分は無敵だ』と思わせるようになる」という――。(第3回/全3回)

※本稿は、マルコム・グラッドウェル『David and Goliath 絶対強者をうち破れ』(サンマーク出版)の一部を再編集したものです。

1940年のロンドン大空襲(ザ・ブリッツ)で被害を受けたセント・ポール大聖堂周辺
1940年のロンドン大空襲(ザ・ブリッツ)で被害を受けたセント・ポール大聖堂周辺(写真=H.Mason/BBC“How St Paul's Cathedral survived the Blitz”/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

政府はパニックを予想していた

第二次世界大戦の前夜、イギリス政府にはある懸念があった。もし戦争になり、ドイツ空軍がロンドンを空爆したら、イギリス軍にそれを防ぐ手立てはまったくない。当時、第一線で活躍していた軍事評論家のベイジル・リデル=ハートの試算によると、ドイツ軍から攻撃されたら、最初の1週間で、ロンドン市民の死傷者は25万人にのぼる可能性がある。

ウィンストン・チャーチルは、ロンドンを「世界一の標的」と描写した。「おいしそうに太った巨大な牛が、猛獣をおびき寄せるために縄につながれている」

チャーチルの予想によると、ドイツ軍の攻撃を受けたロンドンはなすすべもなく、300万人から400万人の市民が田舎に逃げていくだろう。1937年、イギリス軍の上層部がもっとも悲惨な予想が書かれたレポートを発表した。戦争が起こり、ドイツ軍から継続的に爆撃を受けることになったら、死者の数は60万人にのぼり、120万人が負傷し、街中がパニックに陥ることになる。

人々は出勤を拒否する。工業生産は完全に停止する。軍隊もドイツ軍の攻撃を防ぐことができない。なぜなら、パニックを起こした数百万人の市民に振り回され、自国の秩序を維持するだけで精一杯になるからだ。

精神科病院を建設

軍部は、ほんの一瞬、ロンドンの地下に張り巡らされた防空壕網ぼうくうごうもうを建築することも考えた。しかし、そのアイデアは却下された。もしそれを実行したら、人々がずっと地下に潜って出てこなくなる恐れがあったからだ。

彼らは、街のすぐ外にいくつかの精神科病院を建設した。精神を病んだ市民が大挙して押し寄せると考えたからだ。「これが原因で戦争に負ける可能性は十分にある」と、レポートには書かれている。

1940年の秋、懸念されていた攻撃がついに始まった。最初は57晩連続の徹底的な空爆だ。それから8カ月にわたり、ドイツ軍の爆撃機は轟音ごうおんを立てながらロンドン上空を飛びまわった。数万発もの強力な爆弾、さらに100万発以上の焼夷弾しょういだんでロンドンを攻撃した。

1940年11月、ドイツ軍の爆撃で被害を受けたイギリス・コヴェントリー
1940年11月、ドイツ軍の爆撃で被害を受けたイギリス・コヴェントリー(写真=テイラー中尉、戦争省公式写真家/PD-UKGov/Wikimedia Commons