「自分たちは絶対に大丈夫」
ザ・ブリッツを生き延びたロンドン市民の日記や回想を読むと、この現象が数え切れないほど登場する。1つ例を紹介しよう。
最初の空襲警報が聞こえたとき、私は子どもを連れて庭の防空壕に避難した。みんな死ぬのだろうと確信していた。すると、何事も起こらず、警報が解除された。あの日、防空壕から出てきたとき以来、自分たちは絶対に大丈夫だと信じるようになった。
あるいは、こんな例もある。書いているのは若い女性で、近くに爆弾が落ちて自宅が揺れるのを経験している。
私はそこに横たわり、言葉には言い表せないほどの幸福と勝利を感じていた。「私は爆撃された!」と、何度も自分に向かって言い聞かせた。その言葉を、まるで新しいドレスのように身にまとい、自分に似合うかどうか試していたのだ。「私は爆撃された!……私は爆撃された――この私が!」
前の晩にとてもたくさんの死傷者が出たというのに、こんなことを言うとひどいと思われそうだけど、あんなに純粋で完全な幸福を感じたのは、生まれて初めてのことだった。
前の晩にとてもたくさんの死傷者が出たというのに、こんなことを言うとひどいと思われそうだけど、あんなに純粋で完全な幸福を感じたのは、生まれて初めてのことだった。
空爆を逃れたことが自信に
ロンドン市民は、なぜ空爆されても動じなかったのか? それは、人口800万人を超えるロンドン都市圏の全体で、死者が4万人、負傷者が4万6000人ということは、それよりもはるかに多くの人がリモートミスで終わったからだ。トラウマを抱えることになったニアミスの人たちと違い、彼らは空襲によって、むしろ気が大きくなっている。
「私たちはみな、恐怖を感じやすいだけでなく」と、マッカーディは続けた。
恐怖を感じることにも恐怖する傾向がある。そして、恐怖を克服すると気分が大きく昂揚する。(中略)空襲でパニックを起こすかもしれないという恐怖を抱き、実際に空襲が起こると、表向きは完璧に冷静さを保つ。安全な状態になると、以前の不安と現在の安心のコントラストが自信を生み出す。その自信こそが、勇気の父親と母親である。
ザ・ブリッツの最中、ボタン工場で働く中年の労働者が、田舎に疎開したいかと尋ねられた。彼はそれまで、空爆によって二度、自宅から避難している。しかし二度とも、彼も妻も無事だった。彼は疎開を拒絶した。
「何だって? これがみんな見られなくなるじゃないか」と、彼はきっぱりと言った。「中国にあるすべての金塊を積まれてもお断りだね! こんな経験は今までになかった! 本当に初めてだ! それにこれから先もないだろう」
