恐ろしい体験への反応は1つではない

望ましい困難という考え方が示唆するのは、すべての困難がネガティブなわけではないということだ。読む能力がきわめて低いというのはたしかに大きな障害だが、デービッド・ボイズはその特性を逆手に取り、聞く技術を卓越のレベルまで磨き上げ世界有数の訴訟弁護士となった(第1回参照)。あるいはゲイリー・コーンは、普通だったら尻込みするようなチャンスをあえてつかみにいく勇気を手に入れ、ゴールドマン・サックスの社長になった(第2回参照)。

マッカーディが提唱する士気の理論も、望ましい困難という考え方を別の角度からより広く解釈したものだ。ウィンストン・チャーチルとイギリス軍の上層部が、ドイツ軍によるロンドン空爆をあんなにも心配していたのは、爆撃のような経験はすべての人に同じトラウマを残すと信じていたからだ。ニアミスとリモートミスの違いは、トラウマの度合いでしかない、と。

しかしマッカーディは、ザ・ブリッツの検証によって、トラウマとなるような経験は人々にまったく違った影響を与える可能性があるということを発見した。たとえ同じ出来事でも、心に深い傷が残る人もいれば、むしろ精神状態が向上する人もいる。

ウィンストン・チャーチル
ウィンストン・チャーチル(写真=Yousuf Karsh/カナダ国立図書館・文書館/CC-BY-2.0/Wikimedia Commons

ディスレクシアの影響の受け方も2つある

爆撃で自宅が揺れた若い女性や、ボタン工場の労働者は、空襲の経験がいい方向に働いたといえるだろう。彼らは戦争のまっただ中にいた。その事実を変えることはできない。だが彼らは、戦争を耐えられないものにするような恐怖とは無縁でいられたのだ。

マルコム・グラッドウェル『David and Goliath 絶対強者をうち破れ』(サンマーク出版)
マルコム・グラッドウェル『David and Goliath 絶対強者をうち破れ』(サンマーク出版)

ディスレクシアは、まさにこの現象の典型的な例の1つだ。ディスレクシアの人の多くは、自分の障害を埋め合わせることができない。たとえば、受刑者の中にディスレクシアの人は驚くほどたくさんいる。もっとも基本的な学問的タスクをマスターできなかったために、人生を台無しにしてしまった人たちだ。

しかし、それとまったく同じ神経系の障害を抱えていても、ゲイリー・コーンやデービッド・ボイズのような人たちは、障害からまるっきり正反対の影響を受けている。

ディスレクシアはコーンの人生に爆弾を落とした。彼は惨めで、いつも不安に駆られていた。だが、彼は優秀な頭脳の持ち主だった。家族のサポートもあった。さらにそれなりの幸運と、それ以外の十分なリソースにも恵まれたおかげで、彼は爆撃による最悪の影響を免れ、より強くなることができたのだ。

私たちは、イギリスの政府や軍と同じ間違いをすることがあまりにも多い。恐ろしい経験をしたら、それに対する反応は1つしかないと思い込んでいるのだ。しかし、それは間違っている。反応は2つだ。

【関連記事】
私には明瞭にモノを言うが、他人には曖昧な言葉を使う…昭和天皇が「総理大臣にしてはならぬ」と語った政治家【2025年9月BEST】
目を見開いた中国人の喉にメスを入れた…731部隊の「死の細菌兵器工場」で行われた"人体実験"の狂気の実態
元海自特殊部隊員が語る「中国が尖閣諸島に手を出せない理由」【2020年BEST5】
たった1年で婿に逃げられ橋からの身投げを考えた…「ばけばけ」のモデル小泉セツの初婚の意外過ぎる顛末
石田三成と戦っていないのに関ヶ原合戦後に大出世…徳川家康が厚い信頼を置いた「戦国最大の悪人」